• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「10月」(『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』より)

ランブール兄弟 (1413頃-16年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Web Gallery of Art」のページにリンクします。

    <月暦画の1月から12月まで>

 パリのルーヴル美術館は、もともとは王宮でした。それが18世紀のフランス革命のときに改装されて美術館になったのです。それより前、14世紀後半に、それまでパリを守る軍事城塞だったルーヴルを、シャルル5世が王宮に改築していたのです。
 この作品には、その改築直後のルーヴルが描かれています。中央の円筒形の塔だけは古い城塞の名残で窓が小さいのですが、他の窓は大きく開かれ、青空の下、明るい輝きを放っているようです。
 その手前にはセーヌ川、そして左岸の農地が描かれ、来年のための小麦の種まきが行われています。青い胴着を着た農夫の、白い布でできた小袋にはあふれるほどの種が入っていて、それを蒔く彼の仕草からは、ふとミレーの絵画を思い出します。そして、もう一人の赤い服を着た農夫は、重い石が置かれた砕土機を馬に引かせています。人物は、決して大きな動きを見せているわけではないのですが、中世の、本当にどこでも見かけることのできたのどかな光景、労働の様子がほのぼのと伝わってきます。細密で、この上ない洗練を見せるこの美しい作品は、ヘルダーランド出身の写本彩飾師ランブール3兄弟の手になる『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の「暦頁」を飾る宝石のような作品なのです。

 時祷書とは、個人的な礼拝のために用いる祈祷書のことです。それは、修道士や司祭たちによって正式の儀式に加えられていった祈祷の言葉を起源としていて、短縮された聖母への祈祷、詩篇、連祷、使者への祈祷などを含んでいます。時祷書の巻頭には四季暦がくるのが普通で、12カ月の風景や風俗、仕事の挿話が描かれます。そんな時祷書が普及し、いくつかがその時代の最も素晴らしい本になったのはまさに15世紀の初頭….『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』はその代表的なものでした。
 14世紀以降、多くの王侯貴族が美術作品の制作や収集に積極的にかかわるようになりますが、中世のコレクター、パトロンのなかではフランス中部のベリー公国の君主であったジャンが最も著名な人物であったと思われます。彼はフランス王ジャン善良王の息子であり、のちのフランス王シャルル5世の弟でもありました。当時のフランスで最も重いとされた税金は、もっぱら彼の収集癖に費やされ、その収集の対象は宝石から巨大な城にまで及んだと言われています。彼は、単にコレクションを目的とした購入だけでは飽きたらず、ランブール兄弟をはじめとして彼のもとに呼び寄せた作家たちに写本を制作させるなど、その美本の収集家としての位置は、今もなお揺るぎないものとなっています。

 ところで、ランブール3兄弟は、パリの宮廷画家であったフランドルの画家ジャン・マルエルの甥であったと思われます。彼らは当初、パリの金細工職人の工房に徒弟として奉公していたらしく、そこでの繊細な修業の成果が後の細密な作品となって花開いたと言われています。初めはブルゴーニュ公フィリップ豪胆公に仕えましたが、1411年にベリー公ジャンの宮廷に招かれています。ここで『美しき時祷書』『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』の写本彩飾を手掛けますが、後者はベリー公と3兄弟の死によって未完に終わっています。未完部分は1486年頃、ジャン・コロンブによって完成されたと言われていますが、後世の画家の関与した範囲に関しては、必ずしも明らかになってはいません。
 しかし、一連の月暦画が、フランスにおける国際ゴシック様式最大の精華であることに異論はないことと思います。そこには北方芸術独特の風景や風俗描写が、優しく美しくきめ細やかに展開されています。心までも洗われるような深い深い青の使い方、人物一人ひとり、草木一本一本に至るまで繊細に心を寄せた仕事ぶり….その贅沢さに、ひたすらな制作の時間をたっぷりととることのできた時代の余裕と職人の誇りを見る思いです。

★★★★★★★
シャンティイ(フランス)、 コンデ美術館 蔵



page top