スラヴ風の衣装に身を包み、キュッとこちらを見つめる美女は、チェコの舞台女優アンドゥラ・セドラコヴァです。この作品は、彼女が主演し、ラディスノフ・ノヴァクの台本にオスカー・ネドバルが曲をつけたオペラ・パントマイムのためのポスターなのです。セドラコヴァは、パラハにおいて、パリのサラ・ベルナールと同じような位置を占める大変な人気女優でした。
チェコでの晩年、画家は商業宣伝用のポスターをほとんど制作していません。制作時間の大半を、大作『スラヴ叙事詩』に費やしていたからです。ただし、民族色を打ち出した展示会や政府委託のポスターは引き受けていました。祖国チェコを、ミュシャがどれほど愛していたか、実感させる逸話です。
しかし、美しいセドラコヴァのためには時間を惜しまなかったようです。女性の背後に円形の装飾枠を配する構図はパリ時代のものと変わりありませんが、彼女の表情は引き締まり、力強い雰囲気を感じさせます。ただし、豪華な髪飾りや華麗なイヤリング、ネックレスなどの精緻な描写は、さすがにミュシャ…と言うほかありません。左手の輪にデザイン化されたヒヤシンスの花が飾られ、演目のタイトルがさり気なく前面に押し出されています。
1910年、チェコに戻ったミュシャは、プラハ南西の城にアトリエを構え、総数20点に及ぶ『スラヴ叙事詩』を描きました。この民族を称える大作には、結局17年の月日を費やすことになります。
そのきっかけは、1900年のパリ万博でボスニア・ヘルツェゴビナ館のデザインに参加し、スラヴ民族の歴史を見直したことだったようです。さらに、1904年、招待を受けて渡米した際にスメタナの交響曲『わが祖国』を聞き、『スラヴ叙事詩』の構想が生まれたといいます。
そんな大作に専念しつつ制作したこの作品は、チェコ時代のミュシャの最も美しいポスターとなりました。スラヴ民族の象徴のようなセドラコヴァの凛とした美しさを、画家は美しい花や星々で、精一杯に引き立てずにはいられなかったのだと思います。
★★★★★★★
プラハ、 スヴァテック・コレクション蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎アルフォンス・ミュシャ波乱の生涯と芸術
ミュシャ・リミテッド編・島田紀夫監訳 講談社 (2001-09-15出版)
◎アルフォンス・ミュシャ―アール・ヌーヴォー・スタイルを確立した華麗なる装飾
島田紀夫著 六耀社 (1999-12-10出版)
◎週刊美術館 5― ミュシャ/ビアズリー
小学館 (2000-03-07発行)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)