卓越したデッサン力で描き出されたこの婦人は、人間としての尊厳と情熱と包容力を併せ持ち、温かく清潔な光の中で圧倒的な存在感を示しています。たっぷりと使われた絵の具と筆跡から画家の思い入れ、感情が伝わるのは、モデルが画家自身の母親キャサリンだからなのかもしれません。尊敬する母の魅力を最大限に引き出したい…。若いカサットは丁寧に着実に、モデルを構成する形態と光をとらえていったに違いありません。
メアリ・カサット(1844-1926年)は数多くの母子像を描いた画家として知られていますが、こうした女性の単身像も好んで制作しています。そこには、職業画家としての行動を制限され、一日の大半を家の中で過ごさなければならなかった当時の女流画家の絵のテーマが、おのずと身近なものにならざるを得なかったという事情も大きく働いていました。
しかし、そればかりでなく、カサットの場合、深い親交を結んでいたドガの影響から、形態のしっかりした人物像を主題に選ぶ傾向が強かったということもあったに違いありません。しかも、彼女の描く女性たちには、大げさなドラマや甘い感傷などありません。そこにあるのは、今を生きる女性たちの現実の姿でした。彼女たちの淡々とした日常を、カサットは共感を込めて描き続けたのです。
カサットはもともと、アメリカ・ペンシルヴェニア州の裕福な銀行家の家庭に育ち、猛反対する両親を説得して画家となった意志の人でもありました。両親から、経済力と個人的自由、そして飽くなき向上心を授かった彼女は、自分が他の画家たちよりもずっと恵まれた立場であることを誰よりもよくわかっていたでしょう。当時は、安心して制作に専念できる財力がなければ、画家を続けることはできませんでした。まして、女性の社会的進出が本格的ではなかった時代、女流画家として独り立ちするなど、まるで夢のような話だったからです。
そんななかでカサットは、陰から自分を支え続けてくれた母には、特別に深い感謝と敬愛の念を抱き続けていたに違いありません。この作品の中で、新聞を熱心に読みふける女性として母を描いたのには、カサットなりの思いがあったのでしょう。彼女は、社会や政治の問題に積極的にかかわろうとする当時の知的な女性たちを、新聞を読む母の姿に象徴したかったのかもしれません。
この作品は、アメリカ美術協会の展覧会に出品され、絶賛を浴びました。この後、カサットは精力的に制作活動を続け、女流画家であるためのさまざまな困難を克服して、フランスのみならずアメリカでも大きな成功をおさめたのです。晩年は白内障を患って画業を離れたものの、女性の参政権運動などにも積極的に参加し、82歳で亡くなるまで、みずみずしい感性を枯らすことのない生き方を貫き通したのです。
★★★★★★★
個人蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)