カイユボットは水面を描くのが好きだったのかもしれません。幾つもの印象的な作品にはボートを漕ぐ人々が描かれていました。しかし、ここには水面上の雨滴の輪、さざ波、対岸の木々の消え入りそうな姿だけが描かれています。そして、降り続く雨が水面(みなも)を打つ音だけが時を刻み続けます。鑑賞者は耳をそばだて、ただひたすらの永遠を見詰め続けるのです。
作品の舞台イエール川は、イエールという町にあったカイユボット家の田舎の地所の境界に流れていました。パリの南東約20㎞に位置するイエールにはラ・グランジュという城があり、代々貴族が住んだところとしても知られています。スポーツマンだったカイユボットはこの川でボートを漕ぐ人々の絵をかなり多く描いています。
何でもない水面に焦点を当てるのは当時としてはかなり珍しい着眼点でしたが、後年のモネによる睡蓮の池の先駆けのようにも感じられます。ピンク色がかった雨滴の輪に睡蓮が重なるようで、シンプルでひそやかな画面から幾何学模様の意外な華やぎが生まれています。前景の対角線による切り取りは浮世絵の版画に見られるもので、こうした構図はカイユボットの画面構成に対する感性にぴったりと合致するものだったに違いありません。
ギュスターブ・カイユボットは1848年8月19日、パリのフォーブール・サン=ドニ通りの上流階級の家庭に生まれました。そして一家は1860年の初めから、夏の大半をエールで過ごすようになります。このころからカイユボットはドローイングで絵を描き始めています。1868年には法律の学位、70年には弁護士免許も取得し、そのうえ彼はエンジニアでもありました。優秀な青年の前途は洋々でしたが、間もなく普仏戦争が勃発、彼は徴兵されてしまいます。
戦争の後、カイユボットは画家レオン・ボナールのアトリエで絵を学び始め、非常に短期間で技術を習得した後、自宅の一室をアトリエにして本格的な絵画制作を始めています。やがて1874年に父の財産を譲り受け、何不自由のない生活の中でドガを初めとした印象派の画家たちと親しくなっていきます。
彼の絵画への基本的な姿勢は、あくまでも写実主義といっていいものでした。そのため、風景を描くときは完全に自然な領域として描くことに重きを置き、それまでの絵画にありがちだった演劇性は排除されています。この作品にも意図的なものは感じられず、自然に見られる効果だけを写し取っているようです。しかし、この作品が単なる風景描写でないことを鑑賞者はすぐに感じ取ることができます。カイユボットの手になる自然は心地よい幾何学模様に支配され、じっと見れば見るほど心がしん…と静まっていく、みずみずしい光と空気に満たされた奇跡のような一瞬なのです。
★★★★★★★
インディアナ州ブルーミントン、 インディアナ大学美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎西洋名画の読み方5:印象派
ジェームズ・H. ルービン著、神原正明 (監修) 創元社 (2016-6-20出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)