画家は、「肖像画はパンのために、宗教画や歴史画は名誉のために描く」と語っていたといいます。アントワーヌ・ヴィールツ(1806-65年)にとって、自らの宗教画や歴史画はルーベンスやミケランジェロといった巨匠をも凌駕するものだったのです。折しもオランダから独立したばかりのベルギー政府は、ヴィールツをベルギーの顔として後援し、大作を注文し続けました。しかし、やや自信過剰のヴィールツは、そうした大作の売却を一切拒否したといいます。
そんなヴィールツにとって、こうしたエロティックで幻想的な作品は、どういう位置づけになるのでしょうか。誇大妄想的で、サイズばかり巨大な歴史画や宗教画を制作し続けたヴィールツでしたが、こうしたやや不思議な作品もまた彼の特徴であったことは特筆すべきことかもしれません。それは、後のシュルレアリストたちによって、こうした幻想的な作品だけが再評価され、ヴィールツは奇想の画家としてのみ現在の私たちに記憶される画家となっているからなのです。
中世末期以降、美ははかなく若さもはかないもの、生命もまた無常であるという「ヴァニスタ」、または「死と乙女」の主題は、多くの画家によってしばしば取り上げられてきました。そんな中で、人は永遠の生、キリスト教信仰にこそ生きるべきであるという教訓として、絵画の中には死を意味する骸骨、うぬぼれを示す鏡、「光陰矢のごとし」を表す砂時計などが描き込まれるようになりました。
この作品の中の官能的な美女「ロジーヌ」もまた、ヒョロリと立つ骸骨と対峙しています。しかし、彼女は恐れるふうでもなく、理科の実験室にでもありそうな骸骨を、神秘的な笑いを含んでじっと見つめています。彼女の髪に飾られた美しい花もまた、生命のはかなさのシンボルなのです。
意味深なこの場面には、しかし、なぜか不思議なおかしみが漂います。それは、骸骨のこめかみにペッタリと貼られた一枚の紙きれのせいかもしれません。ここには、実は骸骨こそが、タイトルの「うるわしのロジーヌ」本人であることが明かされているのです。使用前・使用後というわけでもないのでしょうが、そうわかって改めて見ると、二人の間には実に親密で、まったりとした空気が流れているように感じられます。
プライドが高く、ベルギー政府に古代の神殿さながらの大きなアトリエまで造らせ、自らをミケランジェロ以上の画家と信じたヴィールツの評価が、死後はこの「うるわしのロジーヌ」ほかの何作かでのみ語られるというのも皮肉なものです。しかし、それこそ諸行無常であり、骸骨のこめかみを美女の花さながらに飾る紙きれの持つ真実そのものなのかもしれません。
アントワーヌ・ヴィールツ自身が意識したわけではないのでしょうが、画面には、なんともしゃれたブラック・ユーモアさえ込められているように感じられるのです。
★★★★★★★
ブリュッセル、 ベルギー王立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎すぐわかる画家別幻想美術の見かた
千足伸行監修 東京美術 (2004-11-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)