すでに胴体から切り離された洗礼者ヨハネの首を目の高さにかかげ、サロメはその愛しい顔と対峙します。彼の生前には決して叶うことのなかった願いがやっと達せられたこの瞬間、サロメの髪はメデューサのそれのようになびいて背徳の世界へ墜ちていく喜びに震え、ヨハネの首からしたたり落ちた一筋の血は地獄に一輪の清らかな白百合を咲かせるのです。
装飾と絵画がないまぜになったような斬新な世界を流麗な線で美しく、そして残酷に表現したのは、世紀末の唯美主義運動を代表する画家の一人、オーブリー・ヴィンセント・ビアズリー(1872-98年)でした。保険会社の事務員として働いていた彼は、1891年にバーン=ジョーンズに見いだされ、ラファエル前派風の挿絵を描くようになります。しかし、何と言っても彼の名を世に知らしめたのは、1894年、出版業者ジョン・レインによって発行されたオスカー・ワイルドの「サロメ」英語版でした。ビアズリーの洗練された黒と白の世界は、ちょうど1890年代のデカダンス(退廃)を象徴するように、時代にぴったりと当てはまり、その線描のリズムが持つ装飾性は、西ヨーロッパに広く普及したアール・ヌーヴォーの精神を体現したものでした。彼の見せるみごとな造形とグロテスク趣味一歩手前の美しさは、当時の人々に甘美な陶酔をもたらしたに違いありません。
サロメは、本来は無垢で、母親の言いつけには従順な、言うなれば脇役で終わる存在だったように思います。ヨハネに思いを寄せたのも本当は母ヘロデアだったわけですが、ここではサロメがファム・ファタル(魔性の女)となり、一気に主役の座を獲得しています。処刑されたヨハネの首に向かって、彼への熱い思いと悔恨の念を語るサロメには、しかしもう、欲しいものを無心に求める小娘の面影はありません。
ビアズリーは結核のために、この後、わずか25歳でこの世を去ります。さらに、救いがたい数々のスキャンダルを伴った不健康で世紀末的なイメージが、彼の神秘性を増幅させているのかもしれません。また、浮世絵版画に深く親しんでいたというビアズリーの装飾性が日本美術とアール・ヌーヴォーの融合された洗練の極みであったことも、凡人の立ち入れない天才の孤独を感じさせるのです。
★★★★★★★
ニュージャージー州、 プリンストン大学図書館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎オーブリー・ビアズリー―世紀末、異端の画家
河村錠一郎編・島田紀夫 文 河出書房新社 (1998-04-10出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西欧絵画の近代―ロマン主義から世紀末まで
高階秀爾著 青土社 (1996-01-20出版)