可愛い赤ちゃんの無垢な寝顔が、レースの向こうに透けて見えます。しかし、それを見守る年若い母の表情からは、優しさだけでない複雑なものが伝わります。これは、印象派の中心メンバーの一人ベルト・モリゾ(1841-1895年)が、実家で出産を済ませた姉エドマを描いた作品なのです。
モリゾといえば、マネの「菫の花束をつけたベルト・モリゾ」や「バルコニー」のモデルとしておなじみですが、それ以上に大切なことは、彼女が非常に意欲的で才能にあふれた画家であったということです。
ベルトは、ブルージュ市長であり銀行の事務長であった父と、フラゴナールの遠縁にあたる母との間に生まれ、プロの画家を目指す女性が社会的な規制にしばられていた時代にあって、才能だけでなく環境にも恵まれた女流画家でした。当時、両親の理解と経済的な余裕は最大の味方であったと言えます。姉のエドマと共に絵を習い始めたベルトは本格的に絵画の道を目指し、両親も全面的な協力を惜しまなかったのです。
彼女は、1862年から68年までコローの弟子となり、初期のころはコローの影響が強く感じられる作品を描いていましたが、27歳のときにファンタン=ラトゥールを通じてマネと知り合ったことにより、この都会的なセンスを備えた9歳年長の画家から大きな影響を受けることとなります。それ以降、マネとの間には、終生変わらぬ絆が結ばれるのです。
しかし、モリゾが本当の意味でコローやマネの影響から脱皮し、彼女らしい伸びやかな画面を見せるようになるのは、1874年にマネの弟ウジェーヌと結婚したころからだったかもしれません。透明感のある、繊細でこの上なくやさしいその表現は他の印象派の画家とは一線を画すものであり、それでいて大胆な美しい線には、彼女の絵画への一途な思いが表れているようです。
この「ゆりかご」は、第1回の印象派展に出品されたものであり、黒と白の微妙なコントラストがマネの影響を思わせます。しかし、そこにただよう静けさと精神性は、すでにモリゾの繊細な筆遣いで一つの崇高な世界観を生み出しています。それは、ベルトが姉エドマが抱える葛藤をだれよりもよく理解していたからこそ表現し得たものなのかもしれません。
エドマは、ベルトと同じくサロンに入選するほどの才能を持った画家でしたが、結婚を機に画業を断念しています。そこには、当時の社会的制約など、一言では尽くしがたい事情があったことでしょう。当時、女性は母性によってのみその存在価値が認められていたと言っても過言ではありませんでした。幸せな家庭生活を営みながらも、妹ベルトのようには絵を続けられなかったエドマは、我が子の寝顔の向こうに何を見ていたのでしょうか。伝統的な母子像を超えた、モリゾならではの視線が新鮮です。
ベルト・モリゾは、自らも出産のために第4回展は休んでいますが、他のすべての印象派展には熱意をもって出品しています。男性画家のようには自由に戸外制作ができなかった時代の中で、姉や母、娘ジュリーや姪たちなどの身近な人々、また滞在した各地の風景などを感受性豊かに描き続けました。
★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)