海岸を見下ろす岩の上の草地でくつろぐ羊の群れは、みな明るい陽の光を浴びて、それは幸せそうに安らいでいます。思い思いに草をはみ、寝ころび、遠くを見やり、この幸せな時間を満喫しているようです。
画家は、なんと優しい視線で、そんな彼らを見つめていることでしょうか。一筆もおろそかにしない丹念で綿密な描写が、すがすがしく美しい世界を見せてくれています。そして、この作品は、ラファエル前派における最も美しい風景画の一作なのです。
ウィリアム・ホルマン・ハントは、イングランド南東部のヘイスティングスに近いコヴハースト湾を見下ろすこの場所で、『わがイギリスの海岸』を描きました。彼は「ラファエル前派運動の大司祭」と皮肉をこめて呼ばれてはいましたが、自身は決して当初から、宗教画に特別心を寄せていたわけではなかったようです。それなのに、この作品ものちに『迷える羊たち』に題名を変更しています。
それには理由がありました。この作品を1855年のパリ万博に出品した際、『世の光』と隣り合わせに展示されたからなのです。この展示において、おそらくハントは、両作品の宗教性を強調したかったのだろうと言われています。そのおかげもあってか、この作品はドラクロワから絶讃されました。ボードレールによれば、ドラクロワは、
「この信仰薄き時代に宗教画を描いた唯一の画家」
と言って褒め称えたということです。
生涯にわたってキリストの受難伝のエピソードを描き続けた画家ですから、そのあたりからもハント本人の意思にかかわらず、「大司祭」の呼び名が決定的になったのかも知れません。
自然と直接向き合う姿勢を保ち続けたハントならではの、この陽光あふれる美しい作品は、しかし実はもともとフランスの国境侵犯に対する、イギリスの国防能力の低さを揶揄する意味をこめて描かれたものだという説もあります。今となっては、ハントが本当は何をテーマに描こうとしたのか、それは画家本人にしかわからないことではあります。
しかし、『迷える羊たち』というタイトルから推して、イザヤ書53章6節にある
「わたしたちは羊の群れ/道を誤り、それぞれの方角に向かって行った。そのわたしたちの罪をすべて/主は彼に負わせられた」
が出典であるとすると、何も知らずに、なんとも幸せそうな迷い子たちではあります。
ところで、ハントはこのすぐ後、宗教画をより深く自らのものとするため、ロセッティらラファエル前派の仲間たちの反対を押し切り、エジプトと聖地パレスチナへの2年にもわたる旅に出ることとなります。このことが一つの大きな原因ともなったのでしょうか、ラファエル前派兄弟団はさまざまな他の要因も手伝って、急速に崩壊していくことになります。
★★★★★★★
ロンドン、 テイト・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新約聖書
日本聖書協会
◎ラファエル前派の夢
ティモシー・ヒルトン著 白水社 (1992-01-20出版)
◎ラファエル前派―ヴィクトリア時代の幻視者たち
ローランス・デ・カール著 高階秀爾監修 創元社 (2001-03-20出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)