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「アタランテとヒッポメネス」

グイド・レーニ (1612年)

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 二人の優雅なポーズは、まるで舞台上で演じられるバレエの一場面のようです。画家はおそらく、主題そのものよりも、この美しく肢体が交差するポーズと、風になびく布の動きの面白さをこそ描きたかったのではないか、とそんな気さえしてくるのです。

 ギリシャ神話に登場するアタランテは、アルカディアの王イーアソスとクリュメネーの娘として生を受けました。ところが、イーアソスが男児を望んでいたため、彼女は山に捨てられてしまいます。そして、狩人の一団に発見されるまで、雌熊に乳を与えられて育ったのです。この雌熊は、実は、山野の女神アルテミスの使いでした。こうしてアタランテは、運動と狩りが得意な、非常に強い娘に成長しました。
 やがて、アタランテの名声が高くなると、イーアソスは娘との再会を望みました。そして、結婚を勧めたのです。アタランテはその強さからは考えられないほど美しく魅力的だったので、求婚者は大勢いました。しかし、彼女自身は全く気が進みません。そこで、自分よりも速く走った者と結婚するという提案をします。負ければ、死をもって罰するという条件付きですから、まさに命を賭けた徒競走なのです。ところが、アタランテは、地上で一番の駿足だったので、多くの若者が命を落としていきました。
 そんな中、ついにヒッポメネスという青年が名乗り出て、彼女に勝利するのです。愛の女神ヴィーナスがヒッポメネスに三つの黄金のリンゴを与え、競走中に、それを一つずつ落としていくようにとアドバイスしたからです。ヒッポメネスは、それを忠実に守りました。すると、アタランテはリンゴの誘惑に負け、立ち止まっては拾ってしまい、競走に敗れてしまったのです。このあたり、ギリシャ神話でありながら、原罪を犯したエデンの園のエヴァを思い起こさせるところです。
 競走には負けましたが、実はアタランテもヒッポメネスに会ったときから気に入っていたらしく、二人は約束どおり結婚します。ところが、せっかくの黄金のリンゴのアドバイスだったのに、感謝を忘れ、礼を失してしまったため、二人はヴィーナスの怒りを買い、ライオンに姿を変えられてしまったといいます。嫉妬深く気まぐれな女神は、仲の良い二人がちょっと気に入らなくなったのかもしれません。ギリシャ神話の神々は、いつも自分勝手で意地悪で、困ったものです。

 オウィディウスによるギリシア・ローマ神話の一大叙事詩『転身物語』の中でも、このエピソードはあまり絵画化されていません。徒競走というテーマでは、画家たちのインスピレーションを刺激しなかったのでしょうか。しかし、それだけに、レーニは物語の非常に重要な場面を、独創的な構図で印象的に自由に描き出すことに成功しているようです。
 アタランテの左手には、すでにリンゴがあり、最後の一つに手を伸ばしています。

  「乙女はびっくりしましたが、
  きらきら光るリンゴが欲しくてたまらず、
  競走中なのに道草をくって、
  地上にころがる黄金の果実を
  ひろい上げました」
   (『転身物語』10:664-8 田中秀央、前田敬作 訳)

 そして、ヒッポメネスは、彼女を易々と追い越しています。その際、右手でアタランテを制止しているポーズは、不思議なことに、見ようによっては、アタランテを避けているようにも見えます。これは、真偽のほどはわかりませんが、マザコンだったと噂される画家自身が、他の女性を受け入れたくないという意志を暗に表明しているのだとも言われています。実際、レーニは生涯、独身でした。

 「ラファエロの再来」と言われたグイド・レーニ(1575-1642年)は、17世紀ボローニャ派の巨匠として、アカデミスムの画家たちの模範とされていました。洗練された古典主義的な画風で、詩人ゲーテに「神の如き天才」とまで称賛されたのです。しかし、ローマで教皇や貴族から多くの注文を受け、いくらでも華やかな生活を送れる地位を獲得しながら、レーニは、故郷ボローニャでの自由な制作を選びました。1614年以降は没年まで、ボローニャを離れることはなかったといいます。

★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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