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「アテナイの学堂」

ラファエロ・サンツィオ (1509-10年)

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 1503年に即位した教皇ユリウス2世は、自分の居間に、人類の知と徳のすべてを描かせようと考え、哲学的な探究の主題をラファエロに与えました。古今の哲学者が一堂に会するという、壮大すぎてちょっと気が遠くなりそうな作品ですが、よく見ると、主人公は空間構成そのものであることがわかります。

 一般的に、主役と思われている中央のプラトンとアリストテレスは私たちから一番遠い位置に立っていて、階段を降りるにつれて人物たちが次第に大きく、人々のざわめきもだんだんはっきり聞き取れるようになってくるのです。このように、人物と空間の遠近法は完璧に処理されていながら、視覚的にははるか遠くの深いところに吸い寄せられる、という相反する現象が起こっているのです。そのために私たちは、普通だったらあくびが出そうなこの作品に、実はちっとも飽きることがないのです。みごとな遠近法によって処理された大群衆が、調和と均衡と集中力をもって描かれていて、ラファエロ自身と同時代の人々にとって世界が偉大な秩序によって支えられていたことを感じさせてくれるわけです。

 ラファエロには、決してダ・ヴィンチやミケランジェロに見られるような天才ではないというイメージがつきまとってきました。その美しくわかりやすい画風から、言うなれば市井の人、ごくあたりまえの感覚を持った民衆の一人だったという印象さえあります。しかし、もちろんそれは後世の評論家による大いなる誤解です。ラファエロの類いまれなルネサンスを代表する資質は、並ぶ者のない偉大なものです。そして何よりも彼には、生き生きとした空間表現、空間構成の飛び抜けた才覚がありました。ダ・ヴィンチのような空間のあいまいさ、暗さとは違う、広々とした舞台設定、神の秩序と宇宙の整合性と歴史的時間の感覚を同時に統合するちからが備わっていたのです。それが、この作品にみごとに、圧倒的に花開いているのです。

 このフレスコ画には、学問の多方面にわたる成果を示すため、個々の人物の動作、それを取り巻く群衆の反応が描き込まれています。階段に身を横たえ、教会の物乞いさながらの姿なのはキュニコス派のディオゲネス、階段下ではユークリッドがコンパスを使って幾何学的な形を計っていますし、その背後にはゾロアスターの姿も見えます。
 また、面白いのは、中央のプラトンはダ・ヴィンチ、ヘラクレイトスおよびアリストテレスはミケランジェロ、ユークリッドはブラマンテの肖像であるらしいことです。また、右端にいる若者がこの作品の共同制作者だったソドマ、そして黒いベレーをかぶってこちらを見つめているのは、お約束…と言ってもよいラファエロ自身なのです。中央の中心人物にルネサンスの二大巨匠、自分自身を「幾何学」のグループに配したこのフレスコの大作は、あまりにもルネサンス的な世界図と言えます。

 「歴史の詩人」と言われたラファエロは、古典主義のすべての知識を吸収し、またその不可避の危機のさなかに37歳の若さで燃え尽きていった芸術家です。ラファエロの死とともにルネサンスも死んだと言われていますが、古典主義の絶頂とその危機の中で、徹底した研究と模索と努力を続け、ルネサンスをしっかりと体現していったラファエロの人生はこの上なく偉大なものでした。そうした彼の仕事をしっかりと認識しながらも、ミーハーな一ファンとしては、彼の描く マドンナの他の追随を許さない安定した美しさを思うとき、ただただラファエロはステキ….と思ってしまうのです。

★★★★★★★
ローマ ヴァティカノ宮「署名の間」蔵



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