この堅牢で不思議な作品は、今でもフランス古典主義の規範と謳われています。
羊飼いたちが墓碑の前で銘文を読み解こうとしています。そこには、ラテン語で「ET IN ARCADIA EGO(われアルカディアにもありき)」と刻まれています。
「われ」とは即ち「死」のことであり、死がアルカディアにもあるということは、現実逃避の牧歌的な理想郷アルカディアも、死からの避難所ではないことを暗示しているのです。つまり、幸福のはかなさの表現というわけです。
しかし、やがて「われ」を墓の中の死者と読み替えることで、「われも、かつてはアルカディアにあった」と解釈し、美しい昔を懐かしむ銘文だとする説が登場します。実際、18世紀になると、大勢はその解釈を継承し、この絵の主題は結局、失われた黄金時代や過ぎ去った若き日の恋など、永遠に取り戻せなくなったものたちへの懐旧の念だけとなってしまいました。ただ、この解釈は、もとのラテン語の文法からいけば、やや強引であると眉をひそめる向きもあったようです。
17世紀、絶対王政の確立途上にあったフランスでは、積極的な文化政策と芸術庇護が推し進められていました。その中から生まれたのが厳正・明晰なフランス古典主義であり、ニコラ・プッサン(1594-1665年)は、まさにその精神を体現した画家だったと言えます。
ノルマンディー地方の小村、レ・ザンドリーの名家に生まれ、その後、ローマに渡ってティツィアーノやラファエロの影響を受けたプッサンは、1640年にルイ13世の国王主席画家として母国に招聘されました。そして、その簡潔、典雅で洗練された様式によって、フランス絵画界に全く新しい息吹をもたらしたのです。「絵は詩のごとく」の美学を持ったプッサンは明快でわかりやすい絵画を目指し、幾何学、光学、透視図法などの研究から、理性に基づいた制作によって人々の心をつかんだのです。そして、それは、当時のフランスの文化政策にも合致するものでした。
プッサンは、広がりのある空間の中に、物語に即した態度や感情を示す人物を効果的に配する明晰な画面を得意としました。しかし、ここにも見られるように、彼の絵画にはいつも美しい自然が両手を広げて全てを包み込むように存在しています。厳格である分、後方に広がる緑豊かな風景が画面にみずみずしい情趣を添えていることに、私たちはいつも救われた気持ちになるのです。
ところで、フランス国王に呼び戻されながら、画家は2年足らずのパリ滞在ののち、またすぐにローマへ戻ってしまいます。深い思想的背景を持つ歴史画、宗教画の多いプッサンは、人間に関する「思索」を絵に託すべく精進した知的な人格者でした。だからこそ、パリ画壇の保守派からの敵視や人間関係の煩雑さには失望を感じたのかもしれません。その後はずっとローマで暮らし、二度と故国フランスの土を踏むことはありませんでした。プッサンにとってのアルカディアこそローマだった、ということでしょうか。
★★★★★★★
パリ、ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)