• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「アレオパゴス会議のフリュネ」

ジャン=レオン・ジェローム(1861年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Wikipedia」のページにリンクします。

 まるで陶器のように滑らかで美しい裸身が目に飛び込んできます。周囲の赤いトガをまとった30人の裁判官たちは意外な出来事に驚き、あるいは頭を押さえ、あるいはひたすら被告の女性を凝視するばかりです。このドラマチックな場面は歴史上、実際に起こった瞬間であると言われています。

 
 フリュネは古代ギリシャの美しい女性です。神殿の奉仕者としての名誉を持ち、非常に人気のある人物でした。ところが、ある神殿の祭りで神々を冒涜したとして告発され、アレオパゴス裁判所に召喚されました。ただ、神々への冒涜というのは言いがかりで、実は高級娼婦だったフリュネがアテナイの実力者から高額な報酬を得ており、巨万の富を築いていたことから嫉妬され、告発を受けたというのが真実でした。
 フリュネは何とか身の潔白を証明しなければならないと考えました。しかし裁判はどんどん不利な方向に進んでいきます。裁判官たちの目も冷ややかです。
 そこで彼女は決意し、恋人でもあり弁護を担当していたヒュペイデスに起死回生の秘策を依頼しました。それがこのシーンです。ヒュペイデスは突如、フリュネの着ていた衣服をするっと剥ぎ取り、一糸まとわぬ姿をあらわにしました。そして、「さあ、この美しさを罪に問えるのか」と訴えたのです。
 結果的に、裁判官たちはフリュネの神秘的な美しさに胸を打たれ、彼女は無罪となったのです。現代ではあり得ない判決ですが、ここには当時の社会的な事情が反映していると考えられます。

 
 フリュネは、当時の男性中心の社会での女性の役割を象徴しているのかもしれません。みずからの美しさ、女性的魅力を最大限に利用して裁判に勝利しました。もちろん、そもそもが不当な裁判だったわけですから、お話としては溜飲を下げる方も多いかもしれません。しかし、女性であることの限界も感じさせます。この作品でも、彼女は顔を隠しています。決して、「ほら、見てごらんなさい。私って綺麗でしょ」と自分を前面に押し出しているわけではありません。窮余の一策なのです。
 もしかすると作者ジェロームは、女性としての肉体的な美・官能性というものが、道徳的な議論に与える影響というテーマに切り込んでいるのかもしれません。だからこそ、この作品は美術史における重要な位置を占め、19世紀アカデミズムを代表するジェローム絵画の中でも、そのインパクトとともに特に注目される一作として知られているのです。
 ジェロームの描く女性像は男性の視点からのものであることが特徴で、フリュネの美しさは当時のアカデミズム絵画のスタイルとも一致します。これは19世紀の西洋美術における女性像がどのように扱われたか、またどのように消費されてきたのかを物語り、ある意味での提言・批判をも促す意図も感じ取れます。鑑賞する人によってさまざまな印象を与える作品ともいえそうです。

 
 ジャン=レオン・ジェローム(1824年5月11日 – 1904年1月10日)は、フランスの19世紀後半のアカデミズム運動を代表する画家の一人です。特に歴史画、オリエンタリズム、そしてエクゾティシズム(異国趣味)をテーマとした絵画で知られており、この作品のような実際に起きた出来事をテーマとすることもありました。また、彼の描く中東やアジアの異国情緒あふれる作品たちは、当時のヨーロッパ人にも視覚による異国への旅を可能にし、大変な人気を博しました。ただ、そこには画家の創作も多く盛り込まれているため、鑑賞する人々にはオリエント世界がより魅力的・神秘的にうつったことも間違いなかったと思われます。
 ジェロームの絵画は、非常に優れた技術と精緻な写実的スタイルが持ち味であり、人物や風景を詳細かつ現実的に、しかも美しく滑らかに描くことに重点が置かれ、画家は生涯そうした制作態度を貫きました。アカデミズムの厳格な枠組みから外れることはありませんでしたが、それゆえに技術と芸術性のバランスを絶えず追求し、フランス絵画の黄金時代を頑固に貫いた見事な人生であったといえます。

 

 ところで、この作品の中で裁判官たちの視線は全てフリュネに向けられていますが、ふと画面中央に小さな黄金の像が置かれていることに気づきます。実はこの黄金像は作品の透視図法の消失点となっています。さらにフリュネの肘から見えない光線が一直線に像に向かって発せられているようでもあり、ここにこの裁判の正義が凝縮されているかのようです。
 

★★★★★★★
 ドイツ、 ハンブルク美術館 蔵 
 

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)
       秋山聰(監修)、田中正之(監修)  美術出版社 (2021-12-21出版)
  ◎改訂版 西洋・日本美術史の基本
       美術検定実行委員会 (編集)  美術出版社 (2014-5-19出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」
       木村 泰司 著  ダイヤモンド社 (2017-10-5出版)
  ◎超絶技巧の西洋美術史
       池上 英洋, 青野 尚子 著  新星出版社 (2022-12-15出版)



page top