すがすがしい美しさで、真っすぐにこちらを見詰める黒目がちの美女は、当時、オデオン座の人気女優だったアンリエット・アンリオです。彼女は、ルノワールの大切なパトロンの一人であり、お気に入りのモデルの一人でもありました。アンリオ夫人は、「青衣の女」でもモデルを務めています。
彼女は、四角く大きく胸の開いたイブニングドレスを身にまとい、同色のチョーカーがその顔立ちを引き締めています。パリで最新流行の白いドレスや、夫人の手、背景は大胆に、まるで霧がかかったようにササッと描かれているのに対し、顔はとても丁寧に表現され、アンリオ夫人の可愛らしさを強調しています。この仕上がりなら、彼女も十二分に満足したに違いありません。「まあ、ステキ!」と喜ぶ夫人の顔が目に浮かぶようです。
画家として生活するルノワールにとって、自分の作品を購入してくれるパトロンの存在は重要でした。彼のパトロンは、19世紀になって台頭してきたブルジョワ階級の人々でしたから、ルノワールは彼らのために、肖像画や装飾画を精力的に制作していきました。
それは、また、彼にとっては楽しい仕事でもあったに違いありません。美しく可愛いモデルたちは、ルノワールの芸術的テンションを確実にアップさせてくれる創作の原点だったのです。彼は、何でも心得たプロのモデルを好みませんでした。そのため、身近な人々をモデルに描くことは、とても自然な仕事だったのです。
デッサン力にすぐれ、モデルを実物以上に魅力的に描くことのできたルノワールは、ごく初期のころから、肖像画の佳作が多い画家でした。殊に、著名な出版業者シャルパンティエ家の人々の肖像画を描いてサロンで好評を得てからは、肖像画家としての地位は確固としたものになりました。各界の名士からの注文もふえ、モデルを飽きさせない手早い制作は、さらに彼の人気を高めていったのです。
磁器で有名なリモージュに生まれ、父は仕立屋、母はお針子、二人の兄は彫金師と仕立屋という職人一家に育ったルノワールは、早くに親元から自立したという事情もあり、肖像画の注文は生活の安定のために不可欠なものでした。しかし、それだけでなく、「人体は神の最も美しい創造物」と考えていた彼にとって、人物を描く仕事は、どこか天命のようなものだったかもしれません。
ルノワールは、パリの近代化を実は嫌っていたと言われています。しかし、近代化によって生まれたブルジョワジーと呼ばれる資産階級の人々が、彼の最大のパトロンとなってくれたこともまた、事実でした。
しかし、生涯で2000点近い肖像画を描いたルノワール作品の、実にその4分の1が、彼の家族やごく身近な人々の肖像だったのです。そんなところにも、ルノワールの愛にあふれた人柄が見てとれるようです。
ところで、この美しいアンリエット・アンリオ夫人は、「夫人」と呼ばれていますが、実は87歳で亡くなるまで、生涯独身だったといいます。ここには、大都会で生き生きと自立して生きる女性の、毅然とした自信と優雅な幸福感が、光の中に満ちあふれているようです。
★★★★★★★
ワシントン、 ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎ルノワール
ウォルター・パッチ著 美術出版社 (1991-02-10出版)
◎ルノワール―その芸術と生涯
F・フォスカ著 美術公論社 (1986-09-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)