十字架から降ろされ、弓なりに反ったキリストの身体と、我が子の亡骸を膝に抱いた聖母の祈る姿が痛々しい、とても印象的なピエタです。向かって右側は香油壺を手にしたマグダラのマリア、左側は使徒ヨハネ、左端で手を合わせるのは寄進者で、それぞれの人物から発せられる哀感は、鑑賞する私たちに忘れがたい強いイメージを刻みつけるようです。キリストの、ちょっと考え難い姿勢もさることながら、激しい感情のうねりをほどよく抑制のきいた人々のしぐさでおさえ、緊張感をはらみながらも荘厳で侵しがたい威厳に満ちた、中世宗教画の最高傑作とされる大作です。
そのタイトルが示すように、フランスの最南端で制作された悲哀あふれる作品の作者は、15世紀アヴィニョン派を代表する画家カルトンと、その様式的な見地から長いあいだ結びつけて考えられてきました。近年、最終的に彼の手に帰すものとされるようになりましたが、それでもまだ確たる根拠は見つけ出されていないのが実態です。
素晴らしく単純で、しっかりした構成は北方的というよりはイタリア的、荒涼とした風景は南欧的であると言われていますが、その風景によって、人物たちの孤立感、モニュメンタルな雰囲気はいっそう増大されます。そんな折衷的な画風から、フランドルとイタリアからの影響、そしてフランス彫刻芸術の記念碑的性格も併せ持った、カルトンの存在がずっとクローズアップされていたものと思います。
カルトンはシャロントンとも呼ばれ、1447~61年頃にアヴィニョンで活躍した画家ですが、15世紀フランスは、いちはやくルネサンスの開花を実現したイタリアの都市国家群にくらべ、まだまだ後進的な状況にあり、いまだ中世のゴシック文化の伝統を引き継いでいたようなところがありました。ですから、カルトン自身、ルネサンス到来前夜の、フランス・ゴシック末期のフランスに身を置いていたことになります。
しかし、パリ、リヨン、アヴィニョン、エクスなどの地域や都市を単位とする地方美術の活動は活発で、相互交流を深めながら、独特な魅力ある個性が育っていたということもまた事実でした。南のイタリア、北のフランドルのはざまにあって、両方からの影響がほどよく混在したフランスには、独自の文化が育まれていたのです。そんななかで、独特の空気感をもち、華麗な色彩と堅牢な造形を特徴とする、魅力あふれるカルトンの様式が打ち立てられていったのです。
ところで、左端に端座する寄進者の背後、遠方に見える建物にはイスラーム寺院のような雰囲気が漂います。もしかすると画家はこの場面を、中近東を背景としたものに仕上げようとしていたのかも知れません。そんなところにも、カルトンの個性的な性格が見え隠れするようです。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵