イアソンの名は、ギリシア神話の英雄の中でも、とくに英語圏ではキングズリー、ホーソーンのおかげもあって有名ですが、美術の世界では扱われることが比較的少ないかも知れません。
イオルコス国の王アイソーンは、異父兄弟のぺリアスに謀られて王位を追われてしまいます。その息子イアソンの身を案じた母は、ぺリアスの目をのがれて、ケンタウロス族のケイローンに息子を預けます。賢者ケイローンのもとで育てられたイアソンは、音楽や弓術、医術など多くの技を身につけ、そして多くの勇士達との親交を深めていきました。
やがて成人したイアソンは、もともとは父のものであった王位を譲り受けるように、との神託を受け、ペリアスのもとへ赴きます。しかし、王位を奪われることを恐れたペリアスは、イアソンに難題を与え、それを成し遂げたならば王位を譲ろうと言い渡しました。それは、ぺリアスの従兄プリクソスの霊を弔うためにコルキスの国へ行き、金羊の皮を取り戻して来いというものでした。
イアソンはそれを引き受け、同志を集めてアルゴと名づけた船でコルキスへ向かいます。途中、数々の出来事、苦難に遭いますが、それでもやっとコルキスへと到着することができます。イアソンはコルキスの王アイエテスの屋敷を訪ね、何とか話し合いで金羊の皮を手に入れようとするのですが、アイエテスはそれに応えず、イアソンらに難題を課して追い払ってしまおうと考え、「私の厩に軍神アレスの持ち物だった、口から火を吐く牡牛がいる。これをひいて土地を耕し、そこにこの竜の歯を蒔くがよい。それが出来たならば、金羊の皮を渡そう」と言います。
イアソンは悩みますが、そこへ、イアソンを王宮で見たときに、愛の女神アフロディテの息子エロスの金の矢が胸に刺さってしまったためにイアソンに一目惚れした王女メディアが救いの手を差し伸べてくれます。メディアのおかげで、無事にアイエテスの出した課題を果たすことができたわけです。
しかし、アイエテスには、最初から金羊の皮を渡す気などなかったので、それを知ったメディアはイアソンに自分を連れて行ってくれることを約束してもらい、再びイアソンらが金羊の皮を奪うのを手助けします。そして、金羊の皮が掛けられている樫の木を守る竜をメディアが眠らせている間に、一行はついに金羊の皮を手に入れることができたのでした。
この物語は、もちろん、もっともっと長い続きがあり、大変な悲劇が訪れるのですが、この時点でのイアソンには、そんなことは予測できていません。まさしく、今、鎧に身を固め剣を手にして、軍神アレスの森に掛けてある金毛の羊の革を取り返そうとしている場面です。この作品では、どうやら、夜でも眠ることのない竜の口の中に、メディアが特別に調合した魔法の眠り薬をイアソンが注ぎ込んだところのようです。
イアソンの顔は見えません。しかし、それだけに、さまざまな想像が心を駈けめぐる作品です。激しい明暗のコントラスト、嵐のただ中にいるような躍動感、イアソンのマントは激しく翻り、獰猛そうな竜は背後から彼を認めて、今にも襲いかかろうと身構えます。本当にドラマティックな、ローザが最も得意とする世界が展開しています。
ローザは、17世紀の特異なボヘミアン的画家という評価をされることの多い人物です。そして、19世紀の頃には、ロマン主義の典型と見なされるようにもなります。自然の荒々しい場面を大胆な筆致で描くことが得意で、そういう意味では当時、まったく新しいタイプの画家だったのです。そもそもはナポリの戦闘画家ファルコーネに学び、ローマで活躍していました。やがてフィレンツェのメディチ家に仕えましたが、奇矯で攻撃的な性格でも知られており、他の芸術家ともしばしばトラブルを起こしたと言われています。なんとなくカラヴァッジオとイメージが重なりそうですが、ローザのほうがより激情型だったかも知れません。彼の、暗鬱で荒涼たるロマン的詩情をたたえた戦闘画、風景画は、のちの「ピクチャレスク」的風景画の先駆でもありました。ピクチャレスクとは、生き生きとして魅力的で、想像力を刺激するような絵画….とでも言ったら良いのでしょうか。この作品を見ても、その力強い印象的な作風が雄弁にその意味を語っているように思います。
ところで、ちょっと驚くことは、ローザが絵画の他にも、劇団を組織して自ら演じたり、また、音楽家、風刺詩人としても活躍していたということです。この多才で激しい性格の画家は、やがて宗教や物語をテーマにした大画面の作品でローマの画家たちと肩を並べようとしたようですが、それだけはあまりうまくいかなかったようです。
フィレンツェに赴きメディチ家に仕えたのも、じつはベルニーニ作品を非難したために巨匠ベルニーニの怒りを買い、それを避けるためだったとも言われていますから、さらに彼を追ってみると、面白い話がもっとたくさん出てきそうな気もします。彼の情念は、その作品の中だけでなく、彼自身のなかでもずっと燃え続けていたに違いありません。
★★★★★★★
モントリオール美術館 蔵