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「イサクの犠牲」

ミケランジェロ・カラヴァッジオ (1603年)

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 老人の額の深い数本のしわが印象的です。彼が押さえつけた少年は驚きと恐怖に顔をゆがめ、それでも哀願するように老人を見上げようとしています。まさに、老人の持つ小刀が少年に振り下ろされようとした瞬間、有翼の天使がその手を押さえ、画面右端の羊を指で示したのです。劇的な一瞬を、カラヴァッジオは手で触れることのできる現実感をもって過不足なく描きました。

 旧約聖書の「創世記」22:1-19を典拠とした「イサクの犠牲」のテーマは、多くの画家が繰り返し描いています。しかし、聖書には詳しい状況の設定がありませんから、画家たちはそれぞれに想像の翼を広げて描かなくてはなりませんでした。ここには、カラヴァッジオらしいドラマティックな場面が展開されています。
 後にイスラエル民族の始祖となるアブラハムは、年老いてから一人息子のイサクを授かりました。ところが、神はアブラハムの信仰を試すため、イサクを犠牲として火にかけるように命じるのです。悩み苦しんだ末、アブラハムは火と刃物を持ち、イサクは祭壇のための薪を携えて生贄の山を登りました。イサクは尋ねます。「火と薪はここにありますが、捧げ物の子羊はどこですか」。
 神に命じられた場所に着くと、アブラハムは意を決してイサクを縛り上げ、祭壇の上に横たえて小刀を抜いたのです。しかし、まさにそのとき、天使が現れてアブラハムを押しとどめ、神の言葉を伝えました。「あなたの子をさえ、わたしのため惜しまないので、あなたが神を恐れる者であることを、わたしは今知った」。
 アブラハムが目を上げると、一頭の牡羊が薮にいるのが見えました。彼は、これを代わりの生贄としたのです。

 それにしても唯一神は、時に非情な試みをするものです。旧約聖書の世界においては、このように、神との契約の絶対性が、しばしば描き出されます。そのあたりが、神々が自由奔放で比較的ゆるゆるとしたギリシア神話などとは違うところでもあり、このなんとも逃れがたい緊張感が、カラヴァッジオの劇的な明暗表現には非常にふさわしくもあります。
 その芸術を象徴するかのように波乱と苦悩に満ち、時には暴力的な人生を送ったカラヴァッジオ(1571-1610年)は、強烈な光と影の対比によって、人間の内面的真実までも正確に映し出していきました。ぎりぎりに追いつめられた父と子の心理的な緊迫感が、痛いほど胸に迫ります。老いたアブラハムの手首のしわ、力のこもった左手親指、天使の美しい巻き毛、いたいけな牡羊のつややかな黒い瞳など、カラヴァッジオの卓越した描写力と表現力が、見る者を否応なく、物語の世界へ引き込んでしまうのです。

★★★★★★★
フィレンツェ、 ウフィッツィ美術館蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎創世記―ユダヤ発想の原点〈上〉
       手島佑郎著  ぎょうせい (1990-01-10出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳  日本経済新聞社 (2001/02出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



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