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「イサベラ・ブラントの肖像」

アンソニー・ヴァン・ダイク (1621年)

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 ゆったりと余裕に満ちた笑顔を向ける美女は、バロックを代表する偉大な巨匠、ピーテル・パウル・ルーベンスの最初の妻、イサベラ・ブラントです。
 彼女の人柄は、1626年に早世した折の、
「女性にありがちな欠点の全くない……甘えや気まぐれもなく、善良さと正直さに充ちた……」
と語った夫、ルーベンスの言葉に凝縮されているようです。
 おそらく、これ以上ないほどの優れた伴侶であったに違いありません。それは、この肖像画からも十分に感じ取ることができます。アントウェルペンの富裕な名家の生まれであったイザベラは、結婚の折、その知性と美しさで、画家を同地にとどまらせたのでした。

 作者のヴァン・ダイク(1599-1641年)は、1618年ごろ、弱冠19歳にして自身の工房を構えたほどの早熟の画家でした。画家仲間のルーベンスは早くから彼に注目し、1616年から20年ごろまで、自らの工房の有力な助手に登用し、「最良の助手」と言って称賛しています。
 ヴァン・ダイクはこの肖像画を、ルーベンスがイタリアへ出発する際、贈り物として描いたと言われています。ルーベンスの芸術に強く感化されていたヴァン・ダイクの描いたイサベラは、ルーベンスの描く彼女に非常によく似ています。曇りのない真っ直ぐな瞳、細くすっきりと通った鼻筋、知的に輝く額などが、繊細な筆致で描き出されています。当時、30歳だったイサベラの美しさと女性としての充実ぶりが伝わってくるようです。
 しかし、すでに、ヴァン・ダイクらしい自由闊達な、やや荒い筆遣いも顔をのぞかせており、もしかすると、ルーベンスの手になるイサベラよりも生き生きと描写されているかもしれません。それは、ヴァン・ダイクが肖像画の大家であったことを意味しています。目の前にいる人物を、いかに、彼らの地位にふさわしい威厳と華やかさを付与して描けばよいか、若いヴァン・ダイクはすでに熟知していたと思われます。そういう意味では、恐ろしいほどの天才と言わざるを得ません。
 金糸で刺繍された贅沢な衣装の上に黒い外衣をまとったイサベラは、まさに王侯貴族のようです。金のイヤリング、真珠のネックレス、さらに宝石をあしらった金の鎖をつけたイサベラは、その場の空気を圧倒します。しかし、そんな彼女に、画家は聖母の純潔を象徴する薔薇を一輪、持たせています。ルーベンスに対する愛の象徴でもある白い薔薇が、女性として必要なものを全て備えたイザベラの魅力を、より完璧なものにしています。注文主を魅了する肖像画がどのようなものであるかを、ヴァン・ダイクは心憎いほど十分に心得ていたのです。

 ところで、背景にあるバロック風の立派な門はルーベンス自身のデザインで、実際に、自宅と仕事場を結んでいた門だったのです。その後ろ側にはイタリア風の中庭の様子が緑豊かに描かれ、赤いカーテンが前景と後景を隔てていますが、この空間表現は、やや曖昧な印象です。これは、ティツィアーノをはじめとしたヴェネツィア派の画家がしばしば用いる手法で、こののち、ティツィアーノから多くを学んでいくヴァン・ダイクの傾倒ぶりがうかがえます。
 それにしても、画家は、どんな言葉を交わしながらイサベラを描いたのでしょうか。モデルを飽きさせない程度に速く軽やかな筆致で描くことを得意としたヴァン・ダイクは、この作品に師への敬意を込めるため、さまざまに腐心したのではないかと察せられるのです。

★★★★★★★
ワシントン・ナショナルギャラリー メロン・コレクション 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)

 



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