「マタイ福音書」では、ヘロデ王が幼児キリストを殺そうとしていると夢のお告げで知ったヨセフが、幼な子イエスとマリアを連れて安全なエジプトまで逃れ、ヘロデが死ぬまでそこにとどまったという簡単な記述が見られるだけです。しかし、美術の世界でこの「エジプトへの逃避」という主題は、さまざまな新約外典書を典拠として、より詳細に生き生きと表現されるようになりました。
ふっくらとしたバラ色の頬の聖母の傍らで、幼いイエスは聖ヨセフが大木から手折った一枝を受け取っています。イエスの頬は聖母と同じバラ色で、その表情はヨセフの笑顔を受けるように悪戯っぽく、嬉しそうに輝いています。画面全体が優しい愛情に満たされた、幸せな休息の図となっています。
そして私たちはまた、イエスの手から枝を伝って、ヨセフに向かって吹き抜ける一陣の風に気がつきます。ヨセフのマントはその風によって爽やかに翻り、たいていは存在感を殆ど感じさせることのない地味な聖ヨセフに、大きな動きと父親らしい優しく活発な表情を与えているのです。二人を繋ぐ線と、聖母が斜め下に伸ばした腕から伸びる線が画面中央で交差することで大胆な対角線の構図が生まれていますが、これは1570年から80年頃のバロッチの特徴でもあります。その鮮やかな色彩も相俟って、この時期のバロッチにはマニエリスム的な性格が色濃く感じられます。
しかし、彼の作品をマニエリスム的と一口に言ってしまえないのは、その安定感、平明さにあるような気がします。見る側を不安にさせる材料を持たない直截さは、おそらく多くの人に受け入れられる幸福感を醸し出しています。それでいて、この暖色中心の色調、ダイナミックな構図…..。だからこそバロッチは、バロックの先駆者の一人に数えられることが多いのかも知れません。これから、もっともっと外側へと風を起こしていきそうな予感を感じさせる、力のこもった美しい「聖家族」と言えるでしょう。
バロッチが活躍した16世紀後半は、ローマのマニエリスムが各地に伝播することを余儀なくされ、そのためにかえって、それぞれの地で豊かな芸術が実を結んだ時期でもありました。バロッチも若い頃にローマに滞在した他は、ほとんど生地ウルビーノで活動した画家です。ウルビーノの支配者デラ・ローヴェレ家の庇護のもと、ラファエロやティツィアーノを研究し、そしてなかでもコレッジオの影響を色濃く受けたと言われています。そして、それらの画家を、バロッチ独特の感性で個性的といっても良いようなかたちで結びつけ、輪郭のぼかしや美しい色彩表現、ダイナミックな構図を自分のものとしていったのです。
この『エジプトへの逃避途上の休息』は、当初、ウルビーノ公グイドバルド・デラ・ローヴェレのために制作されたものの模写で、バロッチ自身が友人のシモネット・アナスタージに贈ったものと言われています。それが、ペルージアのイエズス会聖堂、ローマのクイリナーレ宮を経て、ヴァティカンに入ったという経緯をもっています。絵画自身もまた、長い旅を続けて安住の地を得たということになるのでしょうか。
バロッチは数多くの魅力的な素描を残し、パステルを広く活用した初期の画家の一人でした。親密で温かいバロッチの画風は、おそらくパステルとは相性が良かったのではないか、と想像されます。彼の制作にあたっての数多くの習作は、現在でもウフィッツィ美術館に大切に保管されています。
★★★★★★★
ヴァティカン宮美術館 蔵