イエスが誕生したとき、東方から三人の占星学者が星に導かれてベツレヘムへやって来ました。彼らがイエスを礼拝し、捧げ物として黄金、乳香、没薬を贈って帰って帰っていくと、天使がヨセフの夢に現れました。そして、告げたのです。
「起きて、子供とその母親を連れて、エジプトに逃げ、わたしが告げるまで、そこにとどまっていなさい。ヘロデがその子を探し出して、殺そうとしている」。ヨセフは、天使の言葉どおりに行いました。
「マタイ福音書」にあるエジプト逃避の物語は多くの画家にインスピレーションを与えてきました。しかし、パティニールのものほど斬新な逃避行の図は珍しいかもしれません。
澄明な空気に支配された広大な風景の前景に、ロバに乗ってエジプトへと向かう聖母子とヨハネの姿が小さく描かれています。そこには、画家の本当の興味が見てとれます。
ヨアヒム・パティニール(1480-1524年)にとって、実際の主題は何でも構わなかったのかもしれません。彼の心を占めていたのは、いつも自然の風景を描くことでした。だから、タイトルも「エジプト逃避のある風景」なのです。
絵画の中の風景表現が純粋な風景画として独立するのは、ちょうどパティニールが活躍した時代でした。16世紀初頭、パティニールは海や山、川、森、そして岩といった自然を一つの宇宙として描きました。しかし、その風景表現はいつも画家によって構成され、想像された世界でもありました。パティニールは常に、眺望のきく高い視点を心がけ、地味でありながら広々とした風景を描き出すことに、ほとんど全精力を注いでいたようにさえ感じられます。
当時、宗教主題に風景描写が用いられることは多くありましたが、パティニールは宗教主題を単なる点景として導入しました。時には、人物をすべて他の画家に任せ、自分は風景だけを専門に描いたりもしていたのです。まさに、風景画の申し子、といったところでしょうか。
彼は、画面を前景、中景、後景に区別し、この作品でも、前景は褐色がかった灰色、中景は緑、後景は青味を帯びた灰色とし、海と山は空気に溶け込んでいくように描いています。ここでは岩と村と海が全てうまく組み合わされていますが、あくまでも空想の景観を巧みに実景に廃した独特の鳥瞰図なのです。それは、現実のようでありながら、実はヒエロニムス・ボッスの描いた幻想世界に限りなく近いものを感じさせます。
16世紀ネーデルラントにおいて、最初の風景画家となったパティニールの生涯につていは、ほとんど知られていません。彼はまるで、聖書の物語の中のヨセフのごとく、西洋絵画史になくてはならないながら、不思議なほどひっそりとした存在なのです。
ところで、この作品の中には、エジプト逃避のほかにも、いくつかの物語が描き込まれています。
中景の、農場のそばのトウモロコシ畑では、蒔かれたばかりのトウモロコシが黄色い花を咲かせています。兵士たちが農民に、「幼な子を連れた逃亡者は、いつここを通ったか」と尋ねています。すると農民は、「このトウモロコシが蒔かれたすぐ後です」と正確に答えているのです。兵士たちは混乱しました。なぜなら、トウモロコシは、一夜にして花を咲かせたからです。これは、聖書外典の物語です。
しかし、そのそばでは、ヘロデ王の「2歳以下の子供は殺せ」という命令どおり、兵士が子供たちを殺害しています。母親は必死に赤子を守ろうとしていますが、あまりにも無力なようです。
さらに、前景の聖家族の行く手で、彫像が落下しているのが見えます。これは、福音書からの引用ではなく、「イエスが通り過ぎるところ、異教徒の偶像が台から落ちるだろう」と述べられた中世の伝説から、想を得た表現なのです。
そして、画面向かって左下の岩の上には、パティニールの署名を見てとることができます。彼はそれを「だまし絵」と称していたようですが、風景の中に自分を潜ませるなんて、いかにもこの画家らしい工夫だと楽しくなります。やっとパティニールの顔が、少し見えたような気がするのです。
★★★★★★★
アントウェルペン、王立美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎名画への旅〈10〉/北方ルネサンス〈2〉美はアルプスを越えて
高橋裕子・小池寿子・高橋達史・岩井瑞枝・樺山紘一著 高野禎子・高橋達史編著 講談社 (1992-08-20出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎フランドルの美術―カンパンからブリューゲルまで
岡部紘三著 かわさき市民アカデミー出版部;シーエーピー出版〔発売〕 (2006-06-30出版)