夢のお告げを受け、ヘロデ王による幼児の大虐殺から逃れてエジプトへ向かう途中の、聖家族の休息のひとこまです。
「ユダヤ人の王」となる幼な子が生まれたと聞かされてうろたえたヘロデ王の、いかにも権力者らしい愚かさを示すエピソードなのですが、その騒ぎの原因となった幼な子とその両親は、それでも神の守護のもとに、逃避行の途中も安心の中で休息をとっています。
ここにあるのは、しかし、聖家族というよりも、静かに暮らす庶民の安らぎのひとときです。画家は、聖家族を、みずからの国の自然の中に描きました。
質感のあるみごとな青衣に包まれた聖母の清らかな顔も、まさしくフランドルの若い女性のもので、伏せた瞼のふくらみも初々しく、このままそっとこちらに視線を向けられたら、なんだかとっても照れてしまいそうな、限りなく美しい清楚さです。
実りの秋で、後方の聖ヨセフは棒をかかげて栗の実を落としていますが、幼な子イエスは聖母によく似た面差しで、無心にぶどうの実をつまんで遊んでいます。可愛いらしい姿ですが、ブドウ酒はキリストの血であり、この実は幼な子の未来を予告しているわけで、いかにも愛らしいイエスだからこそ、よけいに胸をつかれます。
聖母子の左後方にたたずむロバの目も静かで、聖家族を見守る天使のようにも思えます。
★★★★★★★
ワシントン ナショナルギャラリー蔵