四大預言者といえば、イザヤ、エレミヤ、ダニエル、そしてこの作品のタイトルともなっているエゼキエルですが、彼は前 579年に捕囚としてバビロンに移住したユダヤ人の一人です。
エゼキエルはこの作品の、いわば主人公となるわけですが、残念ながら彼の姿はこの絵の中にはありません。でも、ミケランジェロによってシスティーナ礼拝堂に描かれたエゼキエルは、豊かに白い髭を持つ老人です。ですから私たちのなかにある預言者エゼキエルのイメージも、どうしてもミケランジェロによるそれと重なってしまいます。
さて、「エゼキエル書1」によると、第30年の4月5日、彼は捕囚地バビロンのケバル川の河畔において黙示的な幻視を体験したとされています。その様子は、「そのとき天が開かれ、わたしは神の顕現に接した」という表現で、その特異な超常現象を表しているのです。その時以来、エゼキエルは主の言葉を告知する人となり、生涯をバビロンの地で過ごしたと言われています。
それにしても、エゼキエルはなんと壮大な幻視を体験したことでしょうか。両手を広げ筋骨隆々とした神の下には、翼を持ち、人間、ライオン、牡牛、鷲の姿をした4体の「黙示の獣」が配置され、神を乗せる車のような役割をしているようです。二人の天使が神の両腕を支える様子も神々しく、この集団が雲に乗って天から現れたと想像するだけで、普通の人なら目眩を起こしてしまいそうです。静謐な空間と穏やかな人物表現で古典主義絵画を展開したラファエロのなかには、こんなに動きのある、燃えるような情熱も存在していたのだとあらためて納得する思いです。
ところで、ここに描かれた黙示の獣たちは、「ヨハネの黙示録」にも登場します。そして彼らは中世の教会によって、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの四福音書記者の象徴とされ、それぞれの獣の傍らには、トパーズのように輝く輪があったとされています。輝く輪と聞くと天使を連想しますが、彼らは聖なるものを守る番人としての役割を持つ存在だったと言われています。
1508年、教皇ユリウス2世によってローマに招かれたラファエロは、1520年に37歳という若さで夭折するまで、ヴァティカンの宮廷画家として栄華を極めます。聖堂の壁画装飾をはじめ、肖像画、祭壇画も多く手掛け、建築家としても活躍しました。現在わかっているだけでも作品数は工房作も含め約200 点、そのうち真筆は約100点と言われており、その優しげな印象にくらべ、ラファエロの旺盛で積極的な制作態度には目を見張るものがあります。
今までラファエロと聞くと、綺麗だけれど、「神聖な画家」としてアカデミーの規範とされてきたために、かえって後世の批評家たちから低い評価しか受けられなかったという印象がありました。でも、それは本当に大きな誤解だったということがわかります。彼の37歳という若さでの死も、過剰な活動のための消耗ではなかったかという意見さえあります。もしかするとラファエロほど、芸術を愛し、新しい試みを恐れず、制作することに疲れを見せなかった画家はいなかったのかも知れません。
ラファエロが実現した、この上なく美しい丸みをもった二次元世界を、私たちは今でも当時と変わらぬ幸福感で体験することができるのです。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ピッティ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎イタリア・ルネサンスの巨匠たち―神聖な構図と運動の表現〈20〉/ラファエロ
ブルーノ・サンティ著 東京書籍 (1995-11-28出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)