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「エヴァ・プリマ・パンドラ」

ジャン・クーザン(父) (1538-43年ころ)

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 非常に端正な横顔を見せるこの女性はエヴァ….彼女の頭上にある銘文を読むと、「かつてパンドラであったエヴァ」ということになります。
 パンドラは、ギリシア神話の中に登場する女性で、ウルカヌスによって粘土で作られました。彼女は神々から様々な贈り物を授かり、神のなかの神ユピテルによって地上に送られ、エピメテウスの妻となります。しかし、パンドラが天上より持参した箱には、あらゆる禍(わざわい)が詰め込まれており、それを開けたとき、それらが一挙に飛び出し、以後、人類につきまとうようになり、黄金時代は終わりを告げたのだと言われています。しかし、箱の中には「希望」だけが残ったのです。

 このお話は有名ですが、初期キリスト教会では、パンドラの物語と人類の原罪との類似を認め、パンドラは異教世界でエヴァに対応する存在と考えられるようになったようです。その、エヴァに転身するパンドラ…という宗教的主題を、クーザンは描いているのです。パンドラの箱は、ここでは白い壺として表され、壺から出てきてエヴァの腕に巻き付いている蛇や彼女が手にしたリンゴの一枝から、エヴァとパンドラのイメージを重ね合わせていることがうかがえます。

 ところで、エヴァの身振りは、彫刻家ベンヴェヌート・チェッリーニがフランスで制作した『フォンテーヌブローのニンフ』の影響が著しいと言われており、また、フランス人による最初の裸婦像であることも特筆すべきことだと思います。

 16世紀フランスは、政治的には常に揺れ動いていましたが、フランソワ1世からアンリ4世に至る王たちは芸術家を厚く庇護していました。そして、パリの南東にあるフォンテーヌブロー宮殿が改築される際、その装飾のために、マニエリスム期のイタリアからたくさんの芸術家が招かれました。この、フォンテーヌブロー宮殿の造営にかかわった美術家たちは、一般にフォンテーヌブロー派と称されていますが、彼らは共同制作というスタイルをとったこともあり、芸術家それぞれの個性よりも、全体的統一を優先した総合芸術としての宮殿造営という姿勢は、16世紀半ば以降の宮殿装飾事業に大きな影響を与えました。
 そんななかで、フォンテーヌブロー派がフランス人画家や彫刻家に及ぼした影響も大きく、このあたりからフランス独自のマニエリスム美術が展開するようになります。ジャン・クーザンは、そんな影響を受けた画家の一人だったのです。

 クーザンは生地サンスでステンドグラスの下絵画家として名声を博しましたが、1538年にパリに移住し、画家、版画家、美術理論家としても活躍しました。49年には、アンリ2世のパリ入市式のための舞台装置を手がけるなど活躍し、ルネサンスを一身に体現した画家と見なされてきました。この時期のフランス人画家たちは、裸体の貴婦人をモデルとした神話主題の寓意画という独特の宮廷美術を展開させていきますが、クーザンの描いたこの美しく妖艶なエヴァは、まさしくその先駆けとなる美女だったということになります。  

★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵



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