祈るイエスの目の前に、受難の刑具を持った天使たちが現れ、イエスを見つめています。これは聖書にある、
「そのとき、御使いが天から現れて、イエスを力づけた。イエスは苦しみもだえて、ますます切に祈られた」
という、まさにその場面なのです。
最後の晩餐ののち、逮捕の前のわずかな時間、イエスは祈りを捧げるためにペトロ、ヤコブ、ヨハネを伴い、オリーブ山にこもりました。この主題は「ゲッセマネの祈り」、「園での苦悩」とも呼ばれています。「苦悩」とは、キリストの持つ二つの側面、つまり目の前に迫った苦しみから何とか逃れようとする人間的な面、そして彼に力を与える神としての面との精神的葛藤を意味するのです。
イエスには、これから起こることのすべてがわかっていました。旧約聖書で預言されていたとおり、そしてイエス自身が弟子たちに予告していたとおり、これからイスラエルの長老や指導者たちにつかまり、十字架にかけられるのです。だからこそ、
「私は死にそうなほど悲しい。あなたたちはここで起きて待っていなさい」
と言って、オリーブ山のゲッセマネの園に入っていったのです。
祈りの中で、イエスは「アッバ」という言葉を使っています。これは父を意味するのですが、「お父さま」というよりは「おとうちゃん」といったニュアンスの言葉だといいます。つまりイエスは、父なる神のみ心のままになることを祈りながらも、あまりの苦しさから、いつもならば一人きりで祈りに出向くところを、3人の使徒を伴ってしまったのです。祈りの力を知る者にとって、心を合わせて一緒に祈ってくれる者がいることは心強いことでした。この時、イエスは生涯で唯一、人間的な弱さを見せたのかもしれません。
ところが、イエスが振り向いたとき、3人はそろって眠りこけていたのです。イエスはどんなにか切ない思いをしたことでしょうか。しかし、人として世に来たイエスは、人の弱さもまたよくわかっていたのです。何もかも投げ出して眠ってしまいたいという誘惑がサタンの誘いであることも知っていました。ですからイエスは、
「心は燃えていても、肉体は弱い」
とペドロにつぶやくのです。
ところで、ルネサンス期までには、この主題の表現上の特徴は定着していました。すなわち、キリストはごつごつした岩の多い高台の上でひざまずき、彼の下方には3人の使徒たちが眠っているという図です。15世紀イタリアを代表する画家マンテーニャは、まさしくこの約束ごとをみごとに踏襲した「オリーブ山の祈り」を描いています。その中で、使徒ペトロは白い髭と髪を持ち、ヤコブは黒い髪と髭、そして最も若いヨハネは髭のない長髪の若者です。そして、遠くにはエルサレムの町が見え、ユダによって導かれた兵士たちの群れが近づいています。この緊迫した場面を一つの画面におさめたマンテーニャの構成力は、彼独自の世界観から生まれたものと言えるのかもしれません。
マンテーニャ(1431-1506年)は画家としての最初の12年間、パドヴァで仕事をしました。当時のパドヴァは人文主義が最初に根を下ろした北イタリアの都市であり、古代の遺跡や遺物が豊かに残った土地でもありました。そんな環境が、厳正な学者的感覚を持ったマンテーニャの古代への興味を決定的なものとしていきました。そしてこの地で活躍したドナテッロの強い影響から、雄渾で彫刻的な、マンテーニャならではの様式が確立されていったのです。
雄大な風景表現は、マンテーニャらしい鋭い描線によって構築されています。それは、岩の多い荒涼とした画面にはみごとにマッチし、イエスの頭上に流れる雲までも鉱物のような質感で、見る者の心に画家の揺るぎない世界観を示してくれているようです。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナル・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)