天にも地にも人々が満ちて、息苦しいほどです。ちょっと見たとき、厳粛な埋葬の場面とはわからないかもしれません。これはエル・グレコ最大、460×360㎝の、非常にモニュメンタルな大作です。
絵の下半分には地上の世界、上半分には天上の世界が広がっています。美しい金髪の天使が真ん中に描かれ、二つの世界をつなぐ役目をしています。抱えられているのは、生まれたばかりの赤ん坊の姿をした死者の魂です。当時は、天国へ向かう死者の魂が、このように導かれると考えられていたようです。
オルガス伯はトレドにあるサント・トメ聖堂の保護者であり、熱心な信者でした。タイトルには「伯爵」とされていますが、彼が伯爵となったのは実は後のことで、当時の彼はオルガスの町長であり、名前はゴンサロ・ルイスといいました。
今まさに埋葬されようとするオルガス伯は、武器づくりが盛んなトレドの町で作られた鎧を身にまとっています。トレドは、グレコが長く制作を続け、多くの支持者に支えられた大切な町だったのです。
1323年、伯爵の葬儀が行われたとき、聖アウグスティヌスと聖ステファヌスが出現するという奇蹟が起こったと言われています。遺体を支える二人が、まさに聖人の幻視なのです。
聖アウグスティヌスは偉大な神学者です。司教の冠を被った見事な髭の老人であることから、それとわかります。そして、聖ステファヌスは、ミサの手助けをする助祭の姿で足のほうを支えています。外衣の裾に刺繍された絵が、彼が投石の刑で虐殺された最初の殉教者であることを示しています。
ところで、指を差して二人を紹介する不思議な少年は、グレコの息子、ホルヘ・マヌエルと言われています。彼のポケットからのぞくハンカチには「ドメニコ・テオトコプーロス」とグレコの本名がサインされ、息子の生まれた年「1578年」の文字も刻まれています。
この作品の依頼主は、サント・トメ教会の司祭、アンドレス・ヌニュスでした。典礼を読んでいるのが彼ではないかと思われます。司祭の横では、助手である聖職者が両手を広げ、天を見上げています。もう一人の助手の持つ、長い杖の先の磔刑像が、金髪の天使とともに天と地をつなぐ役割を果たしているのです。
天上では、聖母マリアと洗礼者ヨハネ、そしてキリストが三角形を形づくっています。聖母はその目を地上に、聖ヨハネは上を見上げています。聖母は罪深い人々をも天上へととりなす、慈愛の存在なのです。聖ヨハネの右側には聖パウロ、フェリペ2世、聖トマスの姿があります。当時のスペイン国王が聖人とともに坐しているのには、わけがあります。グレコは宮廷画家にこそなりませんでしたが、国王への感謝と深い尊敬の念を忘れることはなかったのです。フェリペ2世はプロテスタントに対抗するため、キリスト教徒の結束に力を注いだ人物でした。
聖母の横には、天国の鍵を手にした聖ペテロが姿を見せ、その下の雲の上には旧約聖書の登場人物たちが描かれています。天上の音楽家としてハープを弾くのはダヴィデ、十戒の石板を手にするのはモーゼ、そして箱船に手を掛けているのはノアのようです。なんと豪華な顔ぶれでしょう。彼らは、後年のグレコの顕著な特徴である、長く引き伸ばされた姿でキリストとマリアを見つめているのです。
ここで地上に目を移すと、実はここがオルガス伯が亡くなってから200年後の世界であることに気づきます。つまり、画家が生きた時代の16世紀の人々が参列者たちなのです。
例えば、ホルヘ・マヌエルの後方に立つ修道士はフランシスコ会の僧、胸に赤い十字架をつけた三人はサンティアゴ修道会の騎士たちです。白い髭をたくわえているのは、グレコの親友であった人道主義の司祭、アントニオ・デ・コバルピアス、そしてなんと、後列左から6人目に、グレコ本人も顔を見せているのです。画中からこちらを見つめているのは、画家とその息子ホルヘだけです。その視線は時を超えて、鑑賞者にまっすぐに向けられ続けています。
ところで、このたくさんの人々が詰め込まれた画面を見るとき、多くの学者がグレコの空間恐怖症を指摘します。確かに、あまりに壮大で、めまいを覚えてしまうような画面です。
しかし、忘れてならないのは、彼が故郷、クレタ島でビザンティン・イコンの非写実主義を身につけ、ヴェネツィア派の色彩豊かで洗練された油彩技法を学び、そしてトレドの中世的なカトリックの伝統の中に身を置くという経験を重ねたことです。それらの要素は、繊細な神経を持った画家に大きな影響を与えたに違いありません。
トレドで成功を収めたグレコは、終生、敬虔なカトリック教徒でした。自らを受け容れてくれたトレドにおける、天上の栄光と地上の信仰を、中世の奇蹟の物語を借りてモニュメンタルに描き残したかったに違いありません。
この絵は現在に至るまで、サント・トメ聖堂にあるオルガス伯の本物のお墓の上に掲げられています。絵の中のオルガス伯の遺体は、そのまま実際の墓の中に埋葬されていくように見えます。まるで、絵画から現実へと導く、画家のイリュージョンのようです。
★★★★★★★
トレド、 サント・トメ聖堂蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也著 講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎絵画で読むグレコのスペイン
中丸 明著 新潮社 (1999-07-25出版)
◎名画の見どころ読みどころ―朝日美術鑑賞講座〈3〉/17世紀バロック絵画〈1〉 朝日新聞社 (1992-04-30出版)