1890年5月、ゴッホは終焉の地であるオーヴェールに移ります。ポール・フェルディナン・ガッシェ博士の治療を受けるためです。
そのオーヴェールで、まず目につくのがこの教会と市庁舎で、その他にはとりたてて名所のようなものがない場所なのだそうです。ですから、ゴッホが到着してすぐにこの教会を描いたのは、ごく自然な成り行きと言えたようです。
そして、ゴッホは若い頃、聖職に就くことを志して神学を学んだことがあり、本格的な宗教活動に身を捧げた経験もあります。ですから、教会を見て描きたくなるのは、本当に彼にとっては当たり前の心の動きだったと思います。
しかし、実際のオーヴェールの教会を写真で見たときに驚いたのは、ゴッホの絵と実物がまったく違う印象だということです。たしかに姿そのものは同じで寸分違わないのですが、にもかかわらず、ゴッホはこの教会をまったく異世界の存在に変えてしまっているのです。
質素で清らかな教会は、ゴッホの手によって、燃え上がるように揺らめき、危うい存在感をもって自己を主張する、インパクトある孤高の楼閣に姿を変えています。それはまるでゴッホ自身の姿のようでさえあります。なんとなく心をざわつかせる川の流れのような道の表現といい、いっそう不安をつのらせる空の暗い青といい、画面全体が絶えず生命をもってゆらゆらと揺れています。
教会の窓の青が空の青と同じで、実はこの教会自体が立体感のない舞台装置のような作り物で、そのために窓を通して後ろの空が見えてしまっているような、そんな錯覚に陥ります。そして、今にも土が盛り上がり、音をたてて教会自体が宙に浮かび上がるんじゃないか・・・そんなバカなことまで考えてしまうほどです。
間もなく、本当に天国に旅立ってしまうゴッホが、そんな自分と教会を重ね合わせて描いた・・・なんて考えるのは、あまりにもバカバカしくて、笑われてしまいそうですが。
★★★★★★★
パリ、 オルセー美術館蔵