夕闇迫るころ、こんな夢のような情景が毎日繰り広げられたのでしょうか。花にあふれた庭で二人の少女が、回転対称のポーズで提灯を抱えています。ポウッと灯りのともった提灯は少女たちの可憐な表情を浮かび上がらせ、白のドレスとテッポウユリの白が優しく美しく呼応して、夏の夕暮れ時のあの心地よい空気が香るように伝わってくるのです。
ジョン・シンガー・サージェント(1856-1925年)は、アメリカの世紀転換期に活躍した重要な画家でした。しかし、彼は生涯のほとんどを旧大陸で過ごしています。フィラデルフィアの外科医の息子として生まれ、フィレンツェの美術アカデミーで学び、続いて1874年にパリに赴き、エコール・デ・ボザールに入学、77年にはサロンで入選を果たしています。そして、86年以降はロンドンに本拠地を移し、20世紀初頭のイギリス肖像画に絶大な影響力を持つ画家となっていくのです。
この作品はちょうどそのころ、充実期の代表的な一作であり、ロンドン西郊外ウースターシャーのブロードウェイにあるアメリカ人画家F・D・ミレーの家に寄留していたときのものです。毎夕、20分ずつ時間をとって制作していたといわれ、画家がゆっくりと楽しみながら筆を運んだ様子がうかがえるのです。現実のようで、どこか現実感のない美しさは、画家自身の心象風景なのかもしれません。
ちょっと変わったタイトルは、ミレー夫人のリリーという名と、当時の流行歌の歌詞を重ね合わせたものだということです。
ところで、この作品の中に描き込まれた提灯を見るとき、私たちは当たり前のようにジャポニスムの影響を感じずにはいられません。実はサージェントは、ホイッスラー、カサットと共に、印象派周辺のアメリカ人三大画家の一人なのです。サージェント自身、ごく初期のころは、友人でもあったモネの作風と非常に似た作品も描いていたのです。
ジャポニスムとは、19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の開国とともに美術品が大量に流出したことから起こった現象でした。これは、フランスの印象派周辺の画家たちに大きな影響を与え、特に浮世絵に関心を寄せて買い集める画家も多かったといいます。したがって、サージェントもまた自然に、日本の文化への興味を育んだのだと思われます。この作品が1887年にロンドンで発表されたとき、イギリスの印象派画家たちに大きな衝撃を与えたと言われています。
パリからロンドンに移住したばかりのサージェントは、上流階級の人々を描く流行画家として名声を博していましたが、その肖像画は巧みであるがゆえに内面をとらえる努力がなされていないと言われ、批評家たちからは軽視されていました。しかし、ここに見られる繊細な空気感、優雅でやさしい表現は、彼が単なる「金持ちのため」の肖像画家ではないことを感じさせます。
ほっかりと提灯の明かりを受けた少女たちの顔はバラ色に輝き、黄色みがかった夕暮れ時のやさしい光は、鑑賞する私たちまでも密やかな幸福感でいっぱいに満たしていってくれるのです。
★★★★★★★
ロンドン、 テート・ギャラリー 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派美術館
島田紀夫監修 小学館 (2004-12出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)
◎西洋絵画史who’s who
美術出版社 (1996-05出版)