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「カール5世のアントワープ入城」

ハンス・マカルト(1878年)

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 圧倒的な人数とざわめき、壮麗で豊かな色彩と520✕952㎝という画面の大きさ、ここに詰め込まれた人々のばらばらな視線にもかすかな戸惑いを覚えます。ルーヴル美術館の「カナの婚礼」(ヴェロネーゼ作、677×994cm)の大きさには及ばないものの、やはりこの大画面には驚嘆しかありません。でかい…という言葉、そしてなぜか重たい…という言葉がまず出てくる大作です。
 

 中央で手を広げるのはカール5世、ハプスブルグ家第3代当主であり神聖ローマ帝国の皇帝、スペイン国王としてはカルロス1世と呼ばれた揺るぎない王の中の王たる人物です。この華やかな行列は彼がアントワープに入城するシーンを象徴的に、華麗に描き出しています。
 アントワープはその当時、ヨーロッパの商業的な中心地の一つとして繁栄しており、この入城はカール5世の政治的・軍事的な勝利を象徴するものだったのです。その装飾的で、ある意味大仰な行列には、豪華な衣装を身にまとった貴族、兵士、民衆たちが喜びに満ちて描き込まれ、ドラマティックでロマン主義的な感情表現は、画面に絶えざる動きを与えているようです。
 

 神聖ローマ皇帝カール5世は、ブルゴーニュ公・フィリップ4世カスティーリャ王女・フアナの嫡子でした。さらに父方の祖父母は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世ブルゴーニュ公国の女公マリーという、当時のヨーロッパ王族の中でも突出したサラブレッドだったのです。
 1591年に皇帝となったカール5世は、それまでは大国に囲まれてまだ不安定だったブルゴーニュ地方ネーデルラントを統一支配するに至ります。そしてハプスブルグ家とアントワープの経済力をもって支配地域の拡大を果たし、最終的にはルーマニア北部からスペインまでのヨーロッパ全域を我が物としたのです。彼は「日の沈まぬ皇帝」と呼ばれました。
 そんなカール5世の時代に全盛期を迎えたハプスブルグ家は、シャルル突進公や神聖ローマ皇帝マクシミリアンの悲願であったヨーロッパ統一まであと一歩まで迫っていました。偉大な王カール5世。しかし、彼は政治の中心はあくまでも生まれ故郷のベルギー・ブリュッセルに置きました。そして、この地アントワープには1520年に入城しています。
 皇帝の周りにはなぜか裸に近い女神たちが配置され、この象徴的な華麗さはまさしくルーベンスを彷彿とさせます。実はこの大作は、王の画家にして画家の王と呼ばれ、アントワープで活躍したバロックの画家ルーベンスの生誕300年を記念して制作されたものなのです。
 

 ところで、この作品を描いたハンス・マカルト(1840年5月28日 – 1884年10月3日)は19世紀オーストリアのアカデミック美術を代表する画家であり、「画家の王」と呼ばれるにふさわしい華麗な人生を送ったことで知られています。当時のウィーン社交界の中心人物として君臨し、レジオンドヌール勲章も受けています。宮廷官吏の息子としてザルツブルクに生まれ、幼少期に父親を亡くしましたがミュンヘンの美術アカデミーで研鑽を積み、ウィーン美術アカデミーの教授となります。そして20代後半という異例の若さでウィーン画壇を代表する画家となったのです。
 さらに特筆すべきは社交界の中心人物として君臨し、自身の美的世界を現実的に構築したことが挙げられます。彼のアトリエは単なる仕事場でありませんでした。きらびやかでまばゆいばかりの装飾、胸像などのコレクション、照明具、家具、楽器などで装飾されたマカルトの豪華なアトリエは、やがて一般公開され、1873年ごろには芸術家や名士が集まるウィーン上流階級の社交場となっていったのです。
 マカルトは「画家の王」と呼ばれ、ピーテル・パウル・ルーベンス以来最高の名声と富を享受しました。マカルト見たさに人が集まり過ぎ、カフェの前の道が混雑したという逸話も残っているほどの人気者だったのです。やがて皇帝夫妻の銀婚式パレードのプロデュースを手掛けたときは、その豪華な行進がまるで一幅の歴史画を見るようだったと絶賛されました。彼は現実の世界にまで見事な大作を描いてみせた天才だったのです。
 

 ところでこの作品の左側に、じっと王を見つめる長髪の人物が描き込まれています。周囲の騒ぎとは一線を画す静けさを纏ったこの人物は、実はアルブレヒト・デューラー(1471年5月21日 – 1528年4月6日)なのです。デューラーは、カール5世のアントワープ入城の場面を実際に目撃して、その様子を日記に綴っていました。その日記をもとにして、この大作は出来上がったといいます。そのためマカルトは、ドイツ・ルネサンスを体現した偉大な画家デューラーへのリスペクトの念をもって、ここに登場させたのだと言われています。 

★★★★★★★
 ドイツ、ハンブルク市立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(美術出版ライブラリー 歴史編)
       秋山聰(監修)、田中正之(監修)  美術出版社 (2021-12-21出版)
  ◎改訂版 西洋・日本美術史の基本
       美術検定実行委員会 (編集)  美術出版社 (2014-5-19出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎世界のビジネスエリートが身につける教養「西洋美術史」
       木村 泰司 著  ダイヤモンド社 (2017-10-5出版)
  ◎不朽の名画を読み解く
       宮下規久朗著  ナツメ社 (2010-7-21出版)



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