なんとも不思議な作品です。二人の美しい女性が画面のこちら側に視線を送りながら、妹は姉の乳首をつまみ、姉は指輪を左手でつまんでいます。二人が高貴な婦人であることは一目瞭然ですが、この仕草にどのような寓意や必然性が込められているのか、今でも解明されていない謎なのです。
イタリアで生まれたマニエリスムは、やがて周辺の諸国にも及んでいきました。マニエリスムとは、16世紀の初め、イタリアで生まれた芸術動向です。地理上の発見に代表される世界観の変化、宗教改革による新しい宗教観の台頭など、西欧世界は大きく変わろうとしていました。そうした価値観の大変革の中、不安な時代を背景に、美術界にも変化が訪れました。新しい時代の画家たちは、ラファエロやレオナルドらの完璧な古典主義を模倣しつつ、想像力を働かせた独自で奇抜な様式を展開するようになっていきます。
16世紀に入ると、王権の集中化が進み、各国の宮廷で美術家の需要が増大しました。とりわけ、フランスのフランソワ1世のフォンテーヌブローや、ルドルフ2世のプラハには諸国の芸術家が集められました。そんな中で、独特な宮廷美術が生まれていったのです。
フォンテーヌブロー派とは、フォンテーヌブロー城に集った美術家たちを指した言葉です。メンバーの多くはイタリア人だったと言われ、フランチェスコ・プリマティッチョ、ジョヴァンニ・バッティスタ・ロッソ、ニッコロ・デッラバーテらが知られていますが、この作品のように作者名が特定されていないことも多いのです。きわめて装飾的で、洗練された優雅さをそなえ、宮廷のパトロンたちの要望にみごとにこたえる美しさが特徴でした。これもまた、マニエリスムの一つのかたちと言えるのだと思います。
この作品もまた、作者はわかっていませんが、当時のフランス宮廷における趣味嗜好が伝わってくるような魅惑的な一作です。
ガブリエル・デストレはブルボン王朝の創始者アンリ4世の愛妾であり、このとき、ちょうど妊娠していたと言われています。アンリ4世はガブリエルを愛するあまり王妃マルゴを退け、彼女を王妃の座に就けようと画策したのですが、ガブリエルは産褥のときに容体が悪くなり、亡くなってしまいます。そこには、王妃マルゴによる毒殺説もあるようですが、今となっては真実は霧の中です。
ところで、乳首をつまむ仕草は、王の子を身ごもっていることを暗示しているとの説もありますが、はっきりとはわかりません。ただ、美しいガブリエルとその姉妹、そして二人の後景に赤ちゃんのおむつを一心に縫っているらしい女性や暖炉、飾られた絵画などが垣間見えるあたり、ますます謎めいて、それ故に魅力的な世界へ、鑑賞者はどんどん引きずり込まれてしまうのです。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎フランス絵画史―ルネッサンスから世紀末まで
高階秀爾著 講談社 (1990-04-10出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)