爽やかな海風の中、陽気なケンタウロスやクピドたちに祝福されたガラティアが、貝で造られた凱旋車に乗り、気持ち良さそうに疾走しています。
ガラティアは海の老人と呼ばれた海神ネレウスの娘たちの一人でしたが、ローマの詩人オヴィディウスによると、「水晶よりも輝かしく、白鳥の綿毛よりもやわらかな」姿をしたニンフだったそうで、アキスという美しい恋人もいたそうです。しかし、一つ目の巨人ポリュフェモスが、そんなガラティアに恋をし、嫉妬にかられてアキスを大岩に投げつけて殺してしまいます。すると岩の割れ目から水が溢れ、アキスは変身して川となりました。….ガラティアは、そんな物語の主人公でもありました。この作品は、神話の中の生き物たちに囲まれた祝祭的気分いっぱいのガラティアではありますが、弓を持ったクピドたちはアキスを殺すことになる巨人ポリュフェモスの嫉妬心を物語っているようで、不安の気配も感じさせるものとなっています。
この作品は、ラファエロが創り出した最も美しい女性像の一つに数えられており、いかにも古代の快活さ、感覚がちりばめられ、古典的な主題をみずみずしく表現した大作です。ですから、同じように貝に乗って現れるボッティチェリの 『ヴィーナスの誕生』を思い起こさせるのですが、似ているだけにかえって、その相違をくっきりと感じさせてもくれるのです。『ヴィーナスの誕生』では、画面全体の動きがヴィーナスから生じているわけではありません。外側からの働きかけにヴィーナスが支えられているような感じとなっているのです。一方、ラファエロの、肉付きよく動きのある人物たちは、らせん状の動勢の中で生き生きとした表情を見せていますが、それはすべて中心にいるガラティアの逞しささえ感じさせる力強い、「コントラポスト」と呼ばれる左右相反するポーズから生まれているのです。ですから、画面全体が、ガラティアを中心に渦巻き、見る側も非常に心地良くその流れに呑み込まれていってしまうのです。
ラファエロはこの作品の少し前、ヴァテカーノ宮殿「署名の間」に 『アテナイの学堂』という大作を描いています。それは非常に堂々とした建物を背景とする、ルネサンスの古典精神を完璧に具現化したものでした。しかしこの後ラファエロは、絵画空間を創り出すにあたって、建物の遠近法的な展望よりもむしろ人物の動勢そのものに負っていくようになります。キャンバスの表面にくっついたような人物ではなく、画面の奥深くにまで影響を及ぼし、渦巻きの中心となって世界を動かしていくような人物そのものに興味を集約していくようになるのです。
ミケランジェロが孤高の天才として苦悩に満ちた人生を送った芸術家だったとするなら、ラファエロはその正反対のタイプ…世慣れた芸術家に見えるかも知れません。また、ダ・ヴィンチやミケランジェロといった天才たちの影響を受けながら、上手に彼らの特質を併合して自分のものにしていった画家…というイメージだけで見てしまうことも多いのです。しかし、この作品の美しさ、みずみずしさ、自由で開放的な気分を見るとき、私たちは今まで知らなかった彼の、盛期ルネサンスへの貢献度の大きさを感じてしまいます。絵画的豊かさと彫塑的な堅牢さという、意外なほどの独自な芸術的天才を、再認識させられてしまうのです。
★★★★★★★
ローマ、 ヴィルラ・ファルネジーナ 蔵