この、見るからに悲惨な作品は、当時実際に起こった、1万のトルコ兵によるキオス島の急襲と虐殺がテーマになっています。
古代ギリシャに傾倒するドラクロワはヒューマンな心情の持ち主だったこともあり、この虐殺と略奪には許し難い憤激を感じたに違いありません。ドラクロワの押さえがたい怒りが画面全体を覆って、息苦しいほどです。
そして生まれたこの作品は、ドラクロワ自身、また美術史上、記念すべき大作となりました。
ドラクロワならではの克明で堅実な描写によって、苦しみの極限状態にいる人々を描いたこの作品は、ロマン派絵画の誕生を示すものと言われています。
ロマン派絵画というのは、一口に言うと、人間的感動や躍動感、生命感をそのまま表現しようとする、動的な実感主義と言えます。つまり、それまで一世を風靡していた古典派の、気品にあふれた明快な線による典麗な絵画表現とは、まっこうから対立するものでした。
ですから、サロンに出品しても、このようなドラマティックな絵画はまったく受け入れられず、入選は果たしたものの、「絵画の虐殺だ」などと酷評されたのです。
しかし、この同じサロンに、古典派の代表ともいうべきアングルの「ルイ13世の誓願」が出品されていて、これは次第に生気を失いつつあった古典派と、これから台頭しようとするロマン派の、期せずして新旧交代を暗示する場ともなっていたわけです。
ただ、それは後から思えば、のことであって、絵画的情熱にあふれたドラクロワには、まだまだ不遇の時期だったと言えます。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館蔵