• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「キリストの埋葬」

ミケランジェロ・カラヴァッジオ (1603-04年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Web Gallery of Art」のページにリンクします。

 キリストの亡骸が、今、まさに埋葬されようとしています。一番手前でキリストの両足を支えるのは、ユダヤ法院の一員でありながらキリストに教えを乞うたニコデモでしょう。シワの寄った顔をこちらに向けています。彼の視線は、鑑賞者を画面の中のドラマへと導く役割をしているのです。

 カラヴァッジオ(1573-1610年)の作品の魅力は、その徹底した写実と強烈な光と影の対比、そして、卓越した構図の妙であったと思われます。この作品でも、鑑賞者の目は、向かって右側の女性が高く掲げた両手から、悲しみに暮れてうなだれる人々の頭、青白く静かなキリストの顔へ対角線を描いて下がり、やがて左下の白い布へと導かれます。
 ここで注目すべきは、キリストの右手と布の端です。墓の縁よりも外側に描かれ、それはまるで、画面のこちら側の私たちにも触れることができそうなリアリティーを持っています。一条の光によって浮かび上がったキリストの屍衣の、目の覚めるような白さと、血管の浮き出た、意外と筋肉のついた腕が、私たちに「おいで、おいで」をしているような気さえしてくるのです。
 このキリストのポーズは、古代ギリシャ・ローマの浮き彫りにしばしば見られた姿で、嘆きと喪失感を象徴したものです。キリストの垂れ下がった右手は、掲げられた両手から斜めに降下し、画面はみごとな収まりを見せています。

 ところで、登場人物はみな、聖なる人々というよりも、いかにも貧しい平民たちです。カラヴァッジオの目線は、いつも社会の底辺に生きる人々に向けられていたと言えます。
 一番後ろで両手をかざすのは、聖母マリアの異父妹、クロパスのマリアです。究極の悲惨さを表す古典的なポーズで、絶望しながらも天に助けを求めています。その前で、深くこうべを垂れるのは、マグダラのマリアです。豊かな髪を後頭部でまとめ、あまりの悲しみに声もないようです。
 その横の聖母は、珍しく修道女姿です。腕を下に向けて広げるポーズは、しばしばミッションスクールの庭などで見かけるように思います。この場面全体を、悲しみとともに抱きしめたいと望む姿のようです。
 その前で、キリストの身体をニコデモとともに支えるのは、キリストが最も愛した弟子と言われる聖ヨハネです。通常は、優美な若者として描かれることの多い聖ヨハネですが、ここでは、意外なほどがっしりとした体躯の人物に見えます。これならば、キリストの上半身の重さにも十分に耐えられるでしょう。彼の右手の指は、キリストを支える際、必然的に脇の下の槍の傷跡に入り込んでしまいます。これは、しばしば見受けられる表現ですが、厳しい写実性ゆえに実に痛々しく、陰惨な印象を与えるものとなっています。

 この作品は、当初、ローマのサンタ・マリア・イン・ヴァリチェッラ聖堂の礼拝堂の祭壇画として描かれました。聖餐の秘蹟の際、礼拝者たちは劇的に描き出されたキリストの肉体の前で、キリストの身体たる聖別されたパンを授けられたのです。この神秘的な体験を、人々は生涯、心に刻みつけたことでしょう。
 カラヴァッジオならではの劇的緊張感みなぎる画面ながら、ここでは、一種の古典性を垣間見ることができます。あえて彫塑的な群像を描こうと試みたとき、カラヴァッジオのような斬新な発想を持った画家でも、伝統的表現に回帰するのかもしれません。

★★★★★★★
ローマ、 ヴァチカン美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳  日本経済新聞社 (2001/02出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
       諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



page top