画面中央に立つイエスの穏やかな表情と、周囲の人間の生々しい顔つきが対照的です。そして、左側の半裸の女性はこの場にふさわしくないほどの優雅さで、美しい髪、輝くばかりの肌は必要以上に彼女の性的魅力を強調して描かれているように感じられます。これは、「ヨハネ福音書」による「姦淫の女」の一場面です。
ある朝、イエスはエルサレム東方のオリーブ山の山頂付近にある神殿に入り、人々に神の教えを説いていました。そこに、律法学者やパリサイ派の人たちが一人の婦人を引き立ててやってきました。彼らはイエスに、「この女は、姦淫の場で捕まえられた者です。モーセの律法には、このような女は石で打ち殺せ、とありますが、あなたはどう思いますか」と、いやらしいほど丁寧な言葉遣いで問うたといいます。確かに、モーセの十戒の6番目にはそう定められていたのです。
しかし、このとき、イエスは無言で地面にうずくまり、指で何かを書き始めました。やがて、静かに体を起こすと、「あなた方の中で、罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」と答えました。この言葉に、人々は一瞬沈黙し、一人、また一人とその場を去っていきました。罪のない者など誰一人いないことを、みな知っていたからです。
あとには、イエスと女だけが残され、彼は言いました。「みんなは、どこにいるのか。あなたに石を投げる者はどこか」。女は答えました。「主よ、だれもいません」。すると、イエスは言いました。「わたしも、あなたを罰しない。帰るがよい」。
イエスは女の罪を認め、そして赦したのです。確かに、この作品の中の彼女はまるで娼婦のようです。しかし、それ以上に罪深い表情をしているのは、周りの群衆のほうでしょう。男たちの視線は怒気をはらみながらも、彼女への好奇心でいっぱいのようです。
実は、この主題は意外なことに、キリストが文字を記したという唯一の逸話なのです。ところが…というか、もちろんというか、ロットは、そのことには全く関心がなかったようです。また、一説によると、このときイエスは、パリサイ派の罪を地面に列記したとも言われています。
この馴染み深い逸話を、16世紀ヴェネツィア派の印象深い画家ロット(1480頃-1556/57年)は、彩度の高い寒色系の色調で美しく描きました。右手を上げたイエスの衣装の冴えた赤、マントの青、そして女性の身を包む鮮やかな緑、つややかな肌の白さなど、色彩の美しさはいくら見ていても飽きることがありません。それがロレンツォ・ロットの特徴でもありました。
ロットは初期のころ、デューラーら、北方絵画の影響を受けています。だからこそ、この明快な色彩が実現されたのでしょう。さらに、明確な形態と輪郭、そして澄明な光は、ロットが生涯追求したものでした。彼は、当時の華麗なヴェネツィア絵画とは違う方向を目指したようです。イタリア各地を転々としつつ、奇想と不安に満ち、それでいて不思議なほどにクリアな作品を描き続けたのです。
ロットの反古典主義的な構図や、どこか屈折した表現方法は、彼の神経質な性格が大きく影響していたのかもしれません。しかし、北方絵画に見られるような澄んだ空気感、すべてに注意深く細密な描写など、画家の傑出した力もまた、彼の資質から生み出されたものに違いないと思えるのです。
★★★★★★★
パリ、ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎新約聖書
新共同訳 日本聖書協会
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)