• ごあいさつ
  • What's New
  • 私の好きな絵
  • 私の好きな美術館
  • 全国の美術館への旅

「キリストの洗礼祭壇画」

ヘラルト・ダーフィット (1502-08年)

ジャンプ

ここをクリックすると、作品のある
「Web Gallery of Art」のページにリンクします。

 こぼれるほどの緑の中に描き出された、美しく繊細なキリスト洗礼の図です。あまりに緑豊かなので、画家は洗礼の事実そのものよりも、神の恩寵そのもののような自然をこそ描きたかったのではないか、と思うほどです。

 作者のヘラルト・ダーフィット(1460頃-1523年)は、風景画というジャンルの成立を予告する、綿密な観察に基づく自然描写の画家として知られています。
 彼は、16世紀のブリュージュにおいて、巨匠メムリンク没後の代表的な画家でした。1484年、ブルッヘの画家組合に登録し、1501年には画家組合長となっています。特にファン・デル・ウェイデンロベルト・カンピンヤン・ファン・エイクメムリンクらの影響を受けたと言われています。1515年には、新境地を求めてアントウェルペンの画家組合に加入しましたが、この新興都市に馴染めなかったのでしょうか、再びブリュージュに戻り、1523年に当地で没しました。
 この「キリストの洗礼」の祭壇画は、ダーフィット円熟期の代表作です。充実した風景描写には、風景画を推進したオランダ地方のハールレム派の影響、そして、天使の豪華な衣装や草花の細密な描写には、フランドル派の伝統が感じられます。現在のベルギーとオランダの折衷的な彼の絵画は、そうした伝統を守るという意味では革新性に欠けるかもしれません。しかし、静寂で厳粛で独特な親密さにあふれた彼の芸術は、現在の私たちから見ても、心震えるほどの美しさなのです。

 祭壇画中央では、聖ヨハネがキリストを洗礼しています。中心にヨルダン川が流れ、パネルと垂直に、父なる神、聖霊、そしてキリストが正確に配されています。キリストの左側に立つ天使は見事な金糸織りの外衣をまとっており、対照的に、彼が手にしたキリストの衣服は質素なものです。さらに、聖ヨハネの赤いマントの鮮やかさ、襞にまで神経の凝らされた描写には目を奪われます。この三者の対照的な存在感が、厳粛な画面にリズムを与えているようです。
 広がりのある風景表現は、3枚の絵を横断し、正確な空気遠近法によって描写されています。水平線に向かって緑から青へ、徐々に変化していく微妙な色遣いの美しさは、まさに北方絵画の魅惑です。さらに、キリストの足元のあまりにも清らかな水は精緻な線で描き込まれ、その冷たい感触までも鑑賞者にリアルに伝えてしまうのです。それでいて、岸の草花の綿密な表現は、ふと、イタリア・ルネサンスの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの初期の傑作「受胎告知」を思い出させます。ネーデルラント絵画の伝統を堅固に守り抜いたダーフィットが、決して視野の狭い画家ではなかったことを感じさせるのです。
 左翼には、この祭壇画の寄進者である、ブリュージュ市長のジャン・ド・トロンプとその息子、守護聖人である福音書記者・聖ヨハネが描かれ、右翼には、妻のエリザベトとその守護聖人である聖エリザベト、そして4人の娘たちが描かれています。ともに洗礼の様子を見つめる彼らにも、豊かな緑の恵みがもたらされているのです。

 ところで、非常に判別しにくいのですが、中央パネルの後景には、左に、荒野で説教する聖ヨハネ、右に、洗礼を施されたキリストを弟子たちに披露する聖ヨハネの姿が描かれています。こうした異時同図も、精緻な表現を得意としたダーフィットならではの親密さです。風景だけでなく、人間ドラマにも深い興味を抱き続けた画家の、晩年の充実ぶりが伺えるようです。

★★★★★★★
ブリュージュ、グルーニング市立美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
       高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋名画の読み方〈1〉
       パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳  (大阪)創元社 (2007-06-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術館
        小学館 (1999-12-10出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
        諸川春樹監修  美術出版社 (1997-05-20出版)



page top