キリストの蒼ざめた美しい姿は、両側のねじれた死体とは対照的です。節だらけの木の幹に縛りつけられた二人の罪人の姿によって、イエスの清らかな存在感が、より強調されているようです。二本の真っ直ぐな足と十字架の縦棒の直線は、空虚な空と、その下に広がる穏やかな風景によって効果的に浮かび上がってくるのです。
この静かで印象的な磔刑図は、南イタリアの画家、アントネロ・ダ・メッシーナ(1430-1479年)の板絵であり、画家が繰り返し描いたテーマでもありました。その中でも、この絵は最も劇的で印象深いものであり、52.5×42.5㎝という小さい世界に詳細な描写が施された、実にみずみずしく美しい作品なのです。
アントネロは、15世紀半ばのヨーロッパにおける芸術の、国際的な影響関係を見るうえで最も重要な画家であると言われています。
なぜなら、彼の画風は、フランドル的な澄明さ、細密さ、そしてピエロ・デラ・フランチェスカ的な構成力、ヴェネツィア派的な光の効果などを巧みに採り入れ、消化していることを感じさせるからです。フランドル的細部描写とイタリア的大規模空間の融合は、アントネロ・ダ・メッシーナの最も彼らしい美しいスタイルでした。
この作品でも、前景の砂と岩まじりの丘、中景の緑豊かな穏やかな田園風景、そして遠景の抜けるような空の詩的表現は、ふと、これが悲劇的な磔刑図であることを失念してしまいそうです。
かろうじて、聖母と聖ヨハネの二人が、骨と頭蓋骨の散らばる丘の上で悲嘆に暮れています。これもまた、磔刑図には約束事の光景ですが、それもまた、どこかのどかで、やさしい印象を与えるものとなっています。
ところで、この作品の中には、象徴的なものたちがひっそりと描き込まれています。
中世では、キリストが はりつけにされたゴルゴタの丘は、アダムが葬られた場所と信じられていました。「創世記」に記されたアダムとイヴは、悪魔の誘惑に負けて罪を犯しました。そのため、アダムの頭蓋骨は原罪を象徴しているのです。しかし、この場に描き込まれることによって、彼の原罪はキリストの死をもって あがなわれたのです。 さらに、中景の木々の幹からは、新しい若い枝が伸び始めています。キリストの犠牲によって旧約の世界が終わりを告げ、ここに新約の、新しい世界の扉が開かれたことが象徴されているのです。
そして、もう一つ注目すべきことは、画面左下の木片の存在です。ここに打ち付けられた紙には、「1475年、アントネロ・ダ・メッシーナ我を描く」とラテン語で記されています。画家は、こんなところで、自らの存在を鑑賞者に向けて誇らしげに披露しているのでしょう。
その右側では、フクロウがこちらを見つめています。フクロウは当時、欺瞞と愚かさの象徴とされていたようですが、ここではむしろ、夜行性の鳥であることから「眠り」の擬人像ととらえ、痛々しい人生を終えたキリストに、やっと訪れた安らかな眠りを象徴している、と捉えたいような気がします。
★★★★★★★
アントウェルペン、王立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎名画の見どころ読みどころ―朝日美術鑑賞講座〈1〉/15世紀ルネサンス絵画〈1〉
朝日新聞社 (1992-02-25出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ編、宮下規久朗訳 日本経済新聞社 (2001/02出版)
◎西洋名画の読み方〈1〉
パトリック・デ・リンク著、神原正明監修、内藤憲吾訳 (大阪)創元社 (2007-06-10出版)