包帯のような白布にグルグル巻きにされたイエスは、少々不安なのか、今にも泣き出しそうな表情をしています。見慣れない、ちょっと可哀想な姿…..。しかしこれは、救世主に直接触れてはならないという心遣いからきた姿なのです。
『ルカ福音書』によると、幼な子イエスは「神に聖別されるため」に、マリアとヨセフによってエルサレムの神殿へ連れて来られました。モーセの律法に、すべての生き物の初子は神に捧げなければならないこと、そして子供たちは5シケルで身請けされるべきであることが記されているからです。これはキリスト教の祝儀の一つで、英国国教会の祈祷書の中では、「安産感謝式」と呼ばれているものなのです。
神殿には、シメオンという男が来ていました。彼は敬虔な人物で、救世主を見ないうちは死ねないだろう、との御告げを受けていたのです。彼は聖霊のとどまる人であり、苦しみにあっているイスラエルを根本的に救うメシアを待ち望む人でした。シメオンは、たくさんの参拝者の中からイエスを見出しました。幼な子イエスに救いを見たのです。そして彼は、遂に待ち望んだ救い主を胸に抱こうとしています。畏れ多くも白布に巻かれたイエスを聖母から受け取る瞬間の緊張と喜びは、いかばかりでしょう。そして、イエスがただ高みから苦しむ者に同情するのではなく、苦しむ者とともに苦しみ、苦しむ者の苦しみを身代わりになって引き受ける真の慰め主となることを告げるのです。
14世紀以降の美術の中で、聖シメオンは神殿の祭司長と同じ祭司の衣装を身につけています。しかし、光輪がしめされていますから、確かにシメオンに間違いありません。それにしても、彼の胸まで伸びた髭の、なんとみごとなことでしょうか。そして、羽織った上着の光沢の美しさ、細かい刺繍にまで手を抜かない画家の緻密な姿勢には感嘆を覚えるばかりです。衣装の襞の写実的な描写までも、シメオンその人の重厚さを物語るようです。
暗い背景を背に、人々はそれぞれにとても厳しい表情を見せていますが、15世紀北イタリアの代表的画家マンテーニャ(1431-1506年)はこの厳粛な場面を、彼らしいモニュメンタルで雄弁な線、彫刻的様式を駆使して描きました。それは侵しがたく揺るぎなく構築されたマンテーニャ・ワールドと言うしかありません。しかし、額縁をはみ出した聖母の肘、老シメオンの手のぬくもりは、こちら側で見守る私たちにも伝わります。手を伸ばせば、6世紀の時を越えて、画面の中の人物たちに触れることさえ叶いそうな気がしてくるのです。
★★★★★★★
ベルリン国立美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ヒューマニズムの芸術
ケネス・クラーク著 白水社 (1987-02-10出版)
◎新約聖書
日本聖書協協会
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)