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「キリストの降誕」

ピエロ・デラ・フランチェスカ (1480年代後半)

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 「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。ひとりのみどりごが我々のために生まれた。ひとりの男の子が我々に与えられた」。旧約聖書の預言者イザヤはこのように記しています。その瞬間を、どれほど多くの画家が描いてきたことでしょうか。

 高い台地の上、マントに寝かされた生まれたばかりのキリストを礼拝する聖母は、清らかな優しさに満ちています。静かに手を合わせる姿は若々しく、聖母に手を伸ばす幼な子は既にみずからの立場を認識しているような賢さを感じさせます。
 傍らで音楽を奏で、歌う若者たちはキリストの降誕を祝う奏楽天使たちのようです。みな一様に表情を抑え、みずからの内に響く音楽に心を集中させているように見えます。
 右奥で天を指しているのは羊飼いたち、その手前で腰かけてくつろぐのはマリアの夫ヨセフのようです。彼はとても年をとっており、背後の牛の鳴き声に気をとられているのかもしれません。全てが澄明な空気と光の中に描かれ、言葉では表現したがたい魅力に満ちたシーンとなっています。

 ピエロ・デラ・フランチェスカはこの作品を、おそらくはネーデルラントの油彩技法を学ぶため、ポプラ板の上に卵テンペラによって描いています。聖母の衣装に施された褐色とくすんだブルーの色彩は北方的であり、隅々にまで行き渡る澄明さもまたイタリア絵画には珍しいものといえます。彼の作品の清らかな表現もまた、確かに北方絵画の持つそれに通じているかもしれません。

 ピエロ・デラ・フランチェスカは中部イタリアの初期ルネサンス美術を代表する画家です。しかし特筆すべきは、彼が画家であると同時に当代随一の数学者でもあったということです。幼いころから数学を好んだピエロは遠近法の研究、幾何学へとその興味を伸ばし、『算術論』『遠近法論』『五正多面体論』を著しています。ブルネレッスキ、アルベルティ、レオナルドとともに、ピエロは美術と知性の結びつきという初期ルネサンスの本質を最も体現した画家だったと言えます。

 それにしても美術の伝統などない南トスカーナの小都市サン・セポルクロから、ピエロのような優れた画家が生まれたことは奇跡のようにも感じられます。恐らく彼は故郷の地方画家から学んだ後はフィレンツェ派の巨匠ドメニコ・ヴェネツィアーノに師事し、フィレンツェの新しい美術作品にふれると同時にブルネッレスキアルベルティの遠近法を学んだと思われます。その後、ウルビーノなどの小宮廷に仕えて仕事をこなし、その名声は揺るぎないものとなりました。
 それでもピエロの活動の中心は、故郷のサン・セポルクロでした。殊に晩年は故郷に腰を据えて数学の研究と絵画の制作に専念していたようです。そう思ったとき、この高台の背後に広がる町並みが、まさしくサン・セポルクロであろうことに気づきます。彼の最初期の「キリストの洗礼」の背景によく似た景色が広がっているのです。
 この「キリストの降誕」はピエロ晩年の作品であり、そのために未完であると言われています。「キリストの洗礼」に始まり「キリストの降誕」に終わったピエロの人生にはいつも故郷サン・セポルクロが寄り添っていたことが、この清らかな画面から静かに優しく伝わってくるようです。

★★★★★★★
ロンドン、 ナショナルギャラリー 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎鑑賞のためのキリスト教美術事典
       高階秀爾監修  視覚デザイン研究所 (2011/3/15)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎イタリア絵画
       ステファノ・ズッフィ、宮下規久朗編  日本経済新聞社 (2001-02出版)



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