耳をふさぎたくなるような轟音、悲鳴、苦しみ助けを求める声、声、声…。思わず目をそむけたくなるような作品、「ゲルニカ」です。
この作品はおそらく、20世紀におけるもっとも悲劇的な絵画であり、そしてファシズムの恐怖に対する反抗と怒りの叫びの象徴なのです。
1937年4月26日、フランコの要請に応じたヒトラーの空軍が、何ら戦略的役割を果たしていないバスク地方の小さな村ゲルニカを爆撃しました。それは、通りに人々があふれている時間に開始され、わずか3時間のあいだに村は壊滅し、非戦闘員である2000人の村民が殺されました。
この無差別大量虐殺は世界中を震撼させましたが、ピカソもまた、彼が彼自身そのものであろうとするかのように、5月1日から制作を開始したのです。
それから一ヶ月、仕事に没頭したピカソは、おびただしい習作の中からこの作品を完成させます。それは、許しがたい恐ろしい殺戮に対する衝撃的な絵画であり、3.5メートル × 8メートルの大画面だったのです。
ピカソはこの作品の中に普遍的なドラマを描いています。戦争、救いようのない暴力、死んだ子供、泣き叫ぶ母親….。牡牛や馬は野蛮さの象徴でした。また、画面の形態はポスターのように簡略で不思議なくらいに平面的ですが、それは印象を強烈にするための意図的なものであったのではないでしょうか。
「スペインの戦争は、人民と自由に対する反動の戦争だ。私の全芸術的生涯は、ただ芸術の死と反動に対する闘いのみであった。私が制作中の『ゲルニカ』と呼ぶことになる作品と最近の私の全作品において、スペインを恐怖と死の海に沈み込ませた軍事力に対する私の恐怖感をはっきりと表現している」
とピカソは述べています。
フランコの反乱、スペインの内乱は、ピカソにとって、自身の肉をえぐられるような苦しみであったと想像できます。また、彼はこんなふうに独白しているのです。
「他人に無関心でいられようか。こんなにも豊かなものをもたらしてくれる人生に無頓着でいることなどできるのだろうか。そんな筈がない。絵画は家を飾るためにあるのではない。それは敵に対する戦争の防御と攻撃の手段なのだ」。
ヨーロッパの政治的情勢は急な展開を見せており、ドイツにはヒトラーが、イタリアにはムッソリーニが、スペインにはフランコがあらわれ、戦争の影はパリにも、すぐそこまで近づいていたのです。
★★★★★★★
マドリード、 プラド美術館蔵