群衆の中心で苦しげに倒れこむキリストは、十字架と光を背負い、その重みに耐えるには体力の限界をとっくに過ぎていました。ピラトの公邸から処刑の地であるゴルゴタの丘までは、自らの架けられる十字架を担って行かなければならなかったのです。
しかし、彼はすでに十分に傷つき、疲れ切っていました。それを見守る群衆はあまりの痛々しさに目をそむけ、一緒に処刑される二人の囚人たちまでがつらそうにその光景を見つめています。そして、その後方には、処刑の準備が着々と進められるゴルゴタの丘がそびえているのです。
しかし、なんと賑やかな行列でしょう。ラッパを吹き鳴らす者、旗を掲げる者、画面右下には、キリストの顔の写しとられた聖顔布を手に、悲しみにくれる聖ヴェロニカの姿も見えます。ところで、旗に記された「S.P.Q.R」の文字は「ローマ元老院および市民」を意味し、ヴェロニカの上方の男が持つのは罪を犯した者の罪状を明らかにする銘板で、その後、十字架の上端に固定されます。『ヨハネ福音書』によると、そこには「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれてあったと言われ、ルネサンス美術の中ではラテン語で「INRI」と省略して記されるのが普通です。このように、この画面のなかには、「十字架を担うキリスト」の約束ごとがたくさん詰め込まれているのです。
それにしても、このようにつらい場面であるにもかかわらず、なぜか優雅で、舞台上で演じられる出来事のように、それぞれの登場人物が与えられた役割を演じきっているように見えるのは不思議です。やはり、18世紀最大のヴェネツィア派の画家ティエポロ(1696-1770年)ならではの壮麗さと言えるのではないでしょうか。
正確な遠近法で設定された空間の中で、人物群像は冷たい情熱につき動かされてでもいるようです。そして、軽快な筆致と明快な色彩によって、私たちはこの華麗な舞台劇に引き込まれていくのです。ティエポロの最大の特徴の一つとも言える明晰でまばゆい色調は、キリストのまとう青の外衣と赤い下着までも軽やかに、ロココ調の陽気ささえ感じさせる鮮やかさで、豊かに表現してみせてしまうのです。
ところで、ここに描かれたキリストの姿は、実際とはだいぶ違っていたようです。罪人が自分自身で十字架を運んでいたことは歴史的な事実ではありましたが、その場合、処刑場までは十字架の横木に水平に両手を縛りつけられ、それを担いで引かれて行ったのです。支柱はすでに処刑場の地中に固定されていましたから、このように重い十字架を背負って歩かされるわけではなく、こうした事実は、後代の芸術家には知られていなかったようです。
そして、この「倒れるキリスト」のモティーフは、実はどの福音書にも明らかな記述があるわけではなく、後にさまざまな要素が重なって、美術の表現に加えられたものだと思われます。さらに、十字架の大きさも時代を追うごとに大きく、重くなっていき、ティエポロはとうとう、こんなに大きな十字架をキリストに背負わせてしまったのです。
★★★★★★★
ヴェネツィア、 SANT’ALVISE 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎ティエポロ画集
宮下規久朗解説 トレヴィル;リブロポート(1996-09-10出版)
◎西洋絵画の主題物語〈1〉聖書編
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-03-05出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)