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「サンタ・ルチア・デ・マニョーリ祭壇画」

ドメニコ・ヴェネツィアーノ (1440年代後半)

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 もし、この祭壇画の完成当時に見ることができたら、どれほど輝かしく美しい作品だったかと想像されます。独特な表情でこちらを見詰める聖母の顔の白さが印象に残ります。

 聖母子を囲んで左から、聖フランチェスコ、洗礼者ヨハネ、フィレンツェの守護聖人ゼノビウス、そして聖女ルチアが描かれています。
 聖フランチェスコは、フランシスコ会の創設者として知られています。清貧・童貞・服従の三つの宗教的誓願を持つフランシスコ会の僧服をまとった彼は、弱々しく衰えながらも、確固とした信念の人として描き出されています。
 キリストの先駆とされ、旧約と新約をつなぐ役割を持つ洗礼者ヨハネは、荒野で禁欲生活を送った聖人らしく、動物の毛皮をまとい、物乞いのような姿です。葦の十字架を手にしているのも特徴的です。
 聖ゼノビウスは若くしてキリスト教に改宗した貴族で、フィレンツェの司教となった人物です。死者を蘇らせる霊力を持っていたと言われ、ここではフィレンツェ市の紋章である百合の花のついた杖を持って描かれています。
 聖ルチア(ルキア)は歴史上の人物であり、イタリアのシラクーサの殉教聖女でした。棄教を拒んだために数々の拷問を受けましたが生き続け、最後には短剣で喉を突かれて殉教したと言われています。羽根ペンのような、殉教の象徴である棕櫚の葉を手にしています。

 フィレンツェのサンタ・ルチア・ディ・マニョーリ聖堂のために制作されたこの祭壇画は、1447年ごろに完成したと言われています。
 このように時代の異なる聖人たちが、聖母子と同じ空間に集う形式を「聖会話」と呼びますが、ドメニコ・ヴェネツィアーノはこのかたちを早くから取り入れていました。
 聖母子の台座には、よく見ると金文字の署名があり、その背後にはオレンジの木が描かれています。オレンジは当時貴重品で、リンゴとともに原罪の実とされていました。そんな木々のある外界からの光がちょうど聖母子の頭部をかすめて斜めにホールに差し込み、現実と夢が融合したような独特な世界観が見る者の心をとらえます。

 作者のドメニコ・ヴェネツィアーノ(1410年ごろ-1461年)は15世紀中ごろに主にフィレンツェで活躍した画家です。彼の芸術は他のフィレンツェの画家とは違って、複雑で豊かな素地を持ったローマの芸術が融合したもので、混成的で個性的なものだったと言えます。
 人物の独特な表情な動き、この作品にも見られる光と色彩の豊かな表現、明暗の扱いなど、他の画家とは一線を画す個性を見せてくれます。聖母や聖ルチアの表現も、単純に「美しい」とは言いがたいあたり、なかなかのくせ者です。そのためか、彼はルネサンス期における最も多忙な画家の一人だったと言われています。
 それでいて、ヴァザーリの伝記以外、断片的な記録しか残されていないため、その生涯についてはほとんどわかっていません。現存作品も失われたものが多いため極めて少なく、署名のある作品も2点しかないため、研究者によって作品数の特定もまちまちです。

 しかも、この作品は注文主も不明です。17世紀まではフィレンツェのサンタ・ルチア・デ・マニョーリ聖堂に置かれていましたが、現在は4つの美術館が分蔵しています。この主祭壇画のほかには、プレデッラ部分が5点、「聖痕を受ける聖フランチェスコ」「荒野の洗礼者ヨハネ」がワシントン・ナショナルギャラリー、「受胎告知」「聖ゼノビウスの奇跡」がケンブリッジのフィッツウィリアム美術館、そして「聖ルチアの殉教」はベルリン国立美術館に所蔵されているのです。

★★★★★★★
フィレンツェ、 ウフィッツィ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎ルネサンス美術館
       石鍋真澄著  小学館(2008/07 出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也著  講談社 1989/06出版 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史(カラー版)
        高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎西洋絵画史WHO’S WHO
         諸川春樹監修   美術出版社 (1997-05-20出版)



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