生まれ故郷のすぐ近くにそびえるサント・ヴィクトワール山は、セザンヌにとって、非常に重要な感性の山だったようです。ごつごつとした輪郭線を持つこの山を、セザンヌは60点以上も描き続けています。1878年には、親友のゾラへの手紙で、
「すばらしいモチーフだ」
と絶賛しています。
以後30年間にわたって、彼はサント・ヴィクトワール山を偏執的に描き続けるわけですが、その作品群を見ながら、何が彼をこんなにこの山に惹きつけたのか、私にはちょっと理解しがたいものがあります。石灰岩だらけの、ただごつごつした巨大な山のどこに、セザンヌの感性が呼応し続けたのでしょうか。
ただ、セザンヌには「ここ」という場所がどうしても必要だったのかも知れない、と思います。妻子とも離れて、孤独な晩年を過ごすセザンヌは、その孤独の中で不満を抱きながらも前進し続けていました。筆使いはのびやかになり、この「サント・ヴィクトワール山」など、ほとんど抽象画のようで、「色のモザイク」と言ってもいいものです。そこには、ごつごつした岩山ではなく、空と一体化しそうな、やさしい稜線がうかがえます。
「私には約束の地が見え始めた」
と、彼は書いています。とにかく、確かで永続的な境地が、どうしても重要で、それが約束の地であり、サント・ヴィクトワール山に象徴されるものだったのかも知れません。セザンヌはこう書いています。
「私には約束の地が見え始めた。でも、なんだってこんなに遅く、こんなにも苦労して?」。
彼は嵐に打たれたことがもとで肺炎になり、1906年10月、孤独のうちに亡くなります。最後に「約束の地」に手が届いたのかどうか・・・。そうあってほしいと思わずにはいられません。
★★★★★★★
個人蔵