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「サー・トマス・モアの肖像」

ハンス・ホルバイン(子) (1527年)

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 トマス・モアといえば、政治や社会を風刺した『ユートピア』の著作とともに、まさにこの肖像画で知られるイギリス・ルネサンス期の法律家であり、思想家、そして聖人です。ほとんどの人が皆、トマス・モアはこういう面立ちの人だったと信じて疑ったことがないのではないでしょうか。それほどに優れた、そしてみごとな肖像画です。

 作者のハンス・ホルバイン(1497-1543年)は、ドイツ・ルネサンスを代表する画家です。父は同名の、後期ゴシックの画家で、やはり画家であった兄とともにスイスのバーゼルで修業をし、画家としての活動をスタートさせています。当時のバーゼルは大学町として知られ、すぐれた人文学者が集まっていました。そんな関係からホルバインは、人文主義者との親交を深めています。特に大物エラスムスの肖像は多く描いており、今でも「エラスムスの画家」と呼ばれているほどです。
 やがて、そのエラスムスの推薦状を携えたホルバインは、トマス・モアを頼ってイギリスに渡ります。そのトマス・モアの庇護のもと、次々に肖像画の注文を受け、モアの刑死以後も膨大な仕事量は変わりませんでした。
 ホルバインは、デューラー以降の最もすぐれたドイツ人画家でした。しかし、迫りくる宗教改革の波に押され、十分な注文を受けられないという理由から、とうとう故郷ドイツを活躍の場にすることはありませんでした。そういう意味では、ドイツ美術の衰退を招いた一つの大きな要因を体現した画家と言えるのかもしれません。
 ところで、ホルバインは早くから、科学的な遠近法を駆使した迫真的な肖像画を描いていました。そのみごとな出来は他の追随を許さず、本当に生きているのではないかと疑ってしまうほどです。しかも、現存している作品数の多さから、彼は「ガラス板装置」を使っていたのではないかと言われています。それは、画家と対象物の間に碁盤の目状の線の入った透明なガラス板を置いたもので、素描のための補助用具でした。これを同じ碁盤の目入りの紙に素描することで、効率的に輪郭線を得られるすぐれ物です。デューラーも「測定法教則」という本の中で、これの使用法を解説しています。

 ところで、トマス・モアは1529年に、官僚としては最高位の大法官の職に就きますが、ヘンリー8世の離婚問題でローマ教皇クレメンス7世との板挟みとなり、辞任します。そして、査問委員会にかけられてロンドン塔に幽閉の身となり、1535年7月に処刑されました。その400年後、カトリック教会の殉教者として列聖され、政治家と弁護士の守護聖人となっています。肖像は大法官となる2年前、生気に満ち、確固たる意志を有した人物像をうかがうことができます。

★★★★★★★
ニューヨーク、 フリック・コレクション 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術史(カラー版)
      高階秀爾監修  美術出版社 (1990-05-20出版)
  ◎肖像画のイコノロジー―エラスムスの肖像の研究
      海津忠雄著  多賀出版 (1987-02-28出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)



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