これは、ユダヤ捕囚時代のバビロンの物語です。
裕福なユダヤ人の妻スザンナは、庭で水浴をする習慣がありました。ある日、それを知った二人の長老が、召使いがスザンナ一人を残して去ったのを見はからい、水浴しようとしていたスザンナにせまり、自分たちと関係を結ばなければ、おまえが若い男と密通しているのを目撃したと公共の場で申し立てるぞ、と脅迫しました。当時、姦通罪は死刑に相当する重罪であったわけですが、スザンナはきっぱりと彼らをはねつけ、声を上げて助けを求めました。
望みをくじかれた長老たちは、狡猾にも、脅迫を実行に移します。スザンナは、偽証のかどで法廷に召喚され、有罪となって死刑の宣告を受けてしまうのです。しかし、そこへ青年ダニエルが歩み出て長老たちに詰問し、二人の別々の証言が相矛盾することを証明して、やっとスザンナの無実が認められます。純潔の徳は、ついに邪悪に打ち勝ったのです。
「スザンナ」という名は、ヘブライ語で純潔の象徴、百合を意味しています。最後の最後に邪悪から解放されるスザンナは正義の人として、迫害されていた初期キリスト教時代の人々に支持されていました。中世の芸術家たちは、彼女よりもむしろ、正義を行使するダニエルのほうを主題として好んだのですが、ルネサンス以降は、女性の裸体像を描く格好の口実となり、スザンナの水浴の場面だけが多くとり上げられるようになりました。そのためか、ティントレットやグエルチーノの描いたスザンナを見ると、拒否しているどころか、むしろ長老たちが覗いているのをよくわかった上で、優雅に楽しんでいるようにさえ見えてしまいます。これではいかにも、裸体を鑑賞するだけの絵画そのものであり、スザンナの主体的な心情はまったく感じることができません。
しかし、レーニの描いたスザンナには、背後に迫った二人の長老にハッと気づいた瞬間の、驚き、嫌悪感、拒絶の意思がはっきりと表れています。美しい眉根を寄せ、右手は無意識に長老たちの動きを制するように差し出され、左手で自らをかばいます。純潔の人スザンナらしい、きっぱりとした姿勢が感じられる作品となっているのです。
グイド・レーニは、17世紀ボローニャ派の巨匠でした。おもにボローニャを中心に活躍し、その古典主義的な美しい作風は「ラファエロの再来」として賞賛されていました。レーニの作品を見たときにまず感じるのは、洗練と演劇性と明るさと言えるかも知れません。そんな彼の作品は、フランスのアカデミズムの画家の間でも模範とされ、高く評価されました。それは、この長老たちの精密で写実的な描写、スザンナの清らかな美しさを見れば、十分に納得できるところだと思います。
ところで、この作品にうり二つの『スザンナと長老たち』が、イタリアのウフィッツィ美術館に所蔵されています。ほとんどまったく同じ作品に見えるのですが、でも、何か、受ける印象が違います。それは、やはりスザンナの表情なのだと思うのです。ウフィッツィのスザンナはどこかあどけなく、ポォッとした印象で、こんな感じでは長老たちにつけ込まれてしまいそうです。でも、このナショナルギャラリーにいるスザンナの目の光の強さならば、きっと、自らの意思をきちんと貫き、自分自身を守ることができるに違いないという確信を持たせてくれるのです。
★★★★★★★
ロンドン、 ナショナルギャラリー 蔵