この作品の日本語タイトルは、もしかすると『食後』のほうが一般的かも知れません。窓からの光が三人の女性の顔や胸を照らし、美しい歌声が画面のこちらにも、細く優しく流れてくるようです。三人は姉妹か、従姉妹同士、友人なのかもしれません。親密で叙情的な画面の中を、やさしく穏やかな時間が過ぎていきます。レーガの持ち味が最もよく表現された、美しく魅力的な作品です。
作者のシルヴェストロ・レーガ(1826-95年)は、マッキア(色斑)派を代表する画家の一人です。エミーリア出身であったレーガはフィレンツェで画家となるための勉強をしていますが、美術学校でロマン主義や15世紀風の線描技術を習得する一方で、共和主義活動やイタリア統一運動に参加し、1848年にはトスカーナ軍に志願するなど、その情熱の赴くまま、芸術面以外でも活発に活動したようです。やがてレーガは、画家としての伝統的な教育を同時代の主題を描くために用いるようになります。そしてその頃、マッキア派の画家たちと接触するようになり、フィレンツェの郊外に構えたアトリエは、マッキア派の中心的かつ最も重要な場所となったのです。
マッキア派とは、19世紀中葉、フィレンツェを中心とするトスカーナ地方で形成された美術運動です。反アカデミズムの気運が高まる中、フィレンツェのカフェ・ミケランジェロに集まった画家たちは新しい絵画についての議論を重ねました。その中で彼らは特に、フランスのバルビゾン派の作品から強い影響を受け、自然を観察し、それを色彩と明暗のマッキア(斑点)によって表現しようとしたのです。しかし、1861年に開いた展覧会に展示した彼らの風景画を、「ガゼッタ・デル・ポポロ」誌は皮肉をこめてマッキアイオリ(マッキア派)と呼び、それがこの名称の生まれるきっかけとなったのです。
もちろんマッキア派はフランスの印象派と直接関連があるわけではないのですが、現実的な色彩と光との新しい関係に基づく直截的な表現法を目指したという点では十分に共通するものがあったと言えそうです。
そんなマッキア派の活動に参加しながら、レーガは戸外で描かれた風景画や日常の中の詩的な場面を好みました。そして、その様式は古典絵画の伝統を脱するというよりも、明るい色調や明確な描線を見るとき、それは15世紀絵画を彷彿とさせるものでした。しかし、その垂直、水平を基軸とした端正な構図、抑制のきいた色彩、簡潔で静穏な田園や室内の光景は、レーガの飽くなき探求の結果に他ならなかったのです。後にマッキア派が分裂してからも、レーガはより一層明るい色彩を用いて、光や色彩の色斑の概念を示す作品を描き続けました。
この美しい画面からは、当時の中産階級の生活の一こまが親しみやすく、やさしく伝わってきます。清潔に整えられた室内の様子や調度品、華美ではないが手入れの行き届いた女性たちの衣装の美しさに、見る者の目も心も洗われていくようです。
★★★★★★★
フィレンツェ、 ピッティ美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術の歴史
H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン著 創元社 (2001-05-20出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎イタリア絵画
ステファノ・ズッフィ著、宮下規久朗訳 (日本経済新聞社 2001/02出版)
◎オックスフォ-ド西洋美術事典
佐々木英也訳 講談社 (1989-06出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)