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「セーヴルのテラスにて」

マリー・ブラックモン (1880年)

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 さざ波のように細やかなタッチが画面全体を包み、春の日の暖かい、濃密な空気が息苦しいほどに伝わってきます。これほど丁寧に陽光と色彩が表現されていると、風景と人物が溶け合ってしまうのではないかと何故か不安にさえなってしまうのです。三人の人物がそれぞれの思いを抱えているようでもあり、その微妙な距離感が繊細に描き出されているのも、女流画家ならではの感性がなせるわざなのかもしれません。

 マリー・ブラックモン(1840~1916年)は非常に才能ある画家であり、印象派展に参加した女性の一人でもありました。そのきっかけは、1869年に著名な版画家であったフェリックス・ブラックモンと結婚し、夫を通じて印象派の画家たちと知り合ったことでした。ただ、マリーは3回の印象派展に出品したのみで、その豊かな才能を発展させることなく画壇から消えてしまいます。そこには、家庭生活と画業の両立の難しさがあったのかもしれません。また、夫のフェリックスが自分よりも才能に恵まれた妻に嫉妬したためとも言われていますが、そのあたりは詳しい伝記も残っていないことから、定かではありません。ただ、マリー・ブラックモンという魅力ある画家の本当の心の在処を思い、その才能を惜しむばかりなのです。

 当時、女性がプロの画家として活躍するには、さまざまな困難が伴いました。1869年当時、サロン(官展)に入選した女流画家が全体の12%に過ぎなかったことからも、その排斥ぶりが伺えます。例えば、アカデミーでは人物やヌードなどで構成された歴史画を最も崇高なジャンルとしていたにもかかわらず、女性が実際のヌードモデルを使った教育を受けられなかったという話は有名です。それどころか、ルーヴルに模写をしに行くにも馬車や女性の付き添いが必要であったりして、一人で行動する自由もありませんでした。
 こうした制約のもとで絵を続けるには、金銭的な余裕と周囲の理解が絶対に必要でした。そんな状況の中、戸外での制作が必須だった印象派の画家としては、こうした庭の光景は一番描きやすく、格好の素材であったことと思います。

 マリーの息子の回想によると、この作品の制作の際、彼女は数え切れないほどのデッサンを重ねていたといいます。逆光の中でポーズする人物たちはマリーの親族だということですが、その風のような、さざ波のような細やかな筆致は、彼女の絵画への深い愛情をそのまま示してくれているように感じられます。

★★★★★★★
ジュネーヴ、 プティ・パレ美術館 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎印象派
       アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳  講談社 (1995-10-20出版)
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎印象派美術館
       島田紀夫監修  小学館 (2004-12出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)
  ◎西洋絵画史who’s who
       美術出版社 (1996-05出版)

 



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