たまねぎを刻みながら、ちらりとこちらを窺う少女の視線には、思わせぶりで少々品のない雰囲気が感じられます。さらに、なぜか彼女の傍らで見上げている少年といい、倒れた瓶、たまねぎなども皆、象徴学的に見れば、彼女の無垢の喪失を示しているといわれています。
こうした作品は一般にボデコン(厨房画)と呼ばれ、17世紀オランダでは、人々の生活を生き生きと描いた風俗画の一つのジャンルとして、非常によく取り上げられた主題でした。新教が宗教画の礼拝を禁じたために、カトリックの国に比べて宗教画の需要が少なかったオランダでは、こうしたわかりやすい主題が市民階層には最も人気があったのです。オランダ絵画の黄金時代を支えたのは、まさにオランダの市民たちの現実的な生活感覚そのものだったといえるのでしょう。
ところで、この作品はなぜか、フェルメールの描いた静謐な作品たちとの比較として登場することが多いように感じます。それほどに、道具立ての少ないフェルメールのシンプルな世界に比べ、なんともにぎやかな、多弁な画面だということなのでしょう。同時代の風俗画には、やはりこうした象徴的モティーフのちりばめられたものが多かったし、庶民もそれを求めたということだと思うのです。
ヘーラルト・ダウ(1613-75年)は、1628年から4年間レンブラントの弟子として過ごし、若くしてレイデン画壇の中心人物となった画家です。初期の宗教画には強い明暗法が見られ、確かにレンブラントの影響が感じられますが、中期以降は穏やかな風俗画を多く手がけるようになります。この作品の場合、「穏やかな」という表現はちょっと当たらないかもしれません。しかし、その入念な画風は「細密な絵画」と評され、ヨーロッパ各国で収集されました。いわゆる「細密派」の先駆的存在だったのです。
この作品が単にあからさまな風俗画に堕してしまわないのも、ひとえにダウの力量に負うところが大きいのではないでしょうか。主人公の少女も小物たちも、まるでエナメルのようになめらかな質感で描かれ、窓から差し込んだ光だけが暗い台所にいる少女のおでこや頬、腕を照らしています。たくし上げた袖やエプロンの細かいひだ、少女の金髪の繊細な表現も、ダウでなければあり得なかったのではないかと感じてしまうのです。
そんな彼の作品は、印象派の出現によって精密なスタイルが好まれなくなるまで、死後も高い値がついたといわれています。そして、贋作が多かったことからも、ダウの人気のほどがうかがえるのではないでしょうか。
★★★★★★★
王室コレクション 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎世界美術大全集 西洋篇〈第17巻〉/バロック〈2〉
坂本満・高橋達史編 小学館 (1995-06-10出版)
◎名画への旅〈14〉/17世紀〈4〉市民たちの画廊
高橋達史・尾崎彰宏他著 講談社 (1992-11-20出版)
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎西洋美術史
高階秀爾監修 美術出版社 (2002-12-10出版)