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「デュールの教会」


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 モンマルトルの裏路地で酒びたりの生活を送ったユトリロは、酒臭い息を吐きながら往来を徘徊し、しょっちゅう乱暴を働いては拘置所の冷たい壁を見つめて一夜を明かしていました。とくに、身重の女性に対する憎悪には病的なものがあり、しつこく追い回していたといいます。そんな話を聞くと、母シュザンヌ・ヴァラドンに対する複雑な想いを感じてしまうのですが、すぐにそんなところへ結びつけて彼のトラウマを語るのも短絡的に過ぎるのかも知れません。
 ユトリロは、どこへ行っても嫌われ者だったようです。そして、しばしば、倒れて歩けなくなるほどに打ちのめされていたといいます。中学時代の同級生の一人も、
「彼は常に犠牲の小羊だった。誰もが彼を殴りつけた。彼ほど人から殴られた芸術家は他にいなかった」
と証言しています。
 ユトリロが育ったモンマルトルとは、「殉教者の丘」を意味する名前だと言われていますが、彼じしんはそのことを知らなかったかも知れません。

 ところで、なぜかユトリロはその生涯のなかで、たくさんの教会を描いています。サクレ・クールやノートル・ダムなどいわゆる名所と言われる大聖堂も多いのですが、実は、こうした名もない僅かな人々が集う教会を描いた小品にこそ、画家の最も純粋な視線を感じることができるのです。
 それは、教会の外観を描きながらも、画家自身の癒しがたい渇望、安らぎを求める祈りが描きこまれているからに違いありません。この白く孤独な教会の姿は、切ないほどに当時のユトリロその人の姿を伝えているようです。
 「ユトリロは、自分の信仰のあかしとして教会を描いた。….教会を描くことは彼にとって最終的には一種の宗教的な行であった」
と彼の研究者は語っています。

 ところで、ユトリロは、自らのパレットの白の中に砂や漆喰を混ぜるなどして工夫し、彼が実際に触れてきた石壁の質感を表現しようとしました。ティツィアーノの赤、ベラスケスの銀灰色、セザンヌの青、そしてユトリロの白….。その彼独自の白は、風雨にさらされ、人間たちの手の温もりによってつちかわれた、とてもニュアンスに富んだ白なのです。
 手をすべらせて、葡萄酒の瓶を落したとき、床に這いつくばってガラスの破片を押しのけてまで葡萄酒を飲んでいたと言われるユトリロ、若い母が自身の人生に忙しく、一番愛情を必要とした時期にかえりみられることの少なかったユトリロ、そして、描くことがそのまま祈ることに他ならなかったユトリロ…。そんな彼の想いを秘めて、この白く清らかな教会は、ユトリロが見つめ続けた姿のまま、私たちの心にも永遠にたたずんでいるのです。

★★★★★★★
パリ、 ポール・ペトリデス氏 蔵

 <このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
  ◎西洋美術館
       小学館 (1999-12-10出版)
  ◎新潮美術文庫46 ユトリロ
       千足伸行著  新潮社 (1995-9-15出版)
  ◎オックスフォ-ド西洋美術事典
       佐々木英也訳  講談社 (1989-06出版)
  ◎西洋美術史
       高階秀爾監修  美術出版社 (2002-12-10出版)



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