少女の視線の先には、何があるのでしょう。モデルをなごませることの上手なルノワールのことですから、もしかすると美しい花か果物が置かれていたかもしれません。彼女はやや緊張した様子ながら、かすかな微笑みを浮かべています。
大人びた雰囲気を持つこの少女は、当時まだ8歳だったマリー・デルフィーヌ・ルグラン嬢です。デルフィーヌの父親は印象派と縁の深い画商、デュラン=デュエルと取引のあった人物でした。印象派の画家たちと組んだ商売に関しては失敗していますが、1876年の第2回印象派展でルベルティエ通りの会場の賃料を支払ったのも、77年5月にドゥルオ館で催された売り立ての際に鑑定人を務めたのもルグランでした。
そして、アデルフィーヌが25歳で結婚した折、ルノワールは立会人の一人として記録されているのです。おそらく、間違いなく美しい女性に成長したに違いないデルフィーヌの花嫁姿を、ルノワールは父親のような優しい眼差しで、ちょっと眩しく見つめたことでしょう。そんな画家の温かい思いが、画面全体から伝わってくるようです。
白いブラウスや黒いエプロンドレスはごく簡略に表現されていますが、顔や美しく波打つ髪はとても丹念に描き込まれています。頬や額に置かれたバラ色からは、デルフィーヌが今まさに呼吸して生きていることが実感され、明るいグレーの瞳には清らかな光が宿っています。
オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)は、サロン(官展)での成功は画家として生きていくのに不可欠と考えていましたが、審査結果に一喜一憂することに嫌気がさしてもいました。そこで、仲間たちとグループ展を開催する決心してをして、いわゆる「印象派展」において、その才能を開花させたのです。
印象派の画家として評判を得たルノワールは、裕福な出版業者ジョルジュ・シャルパンティエ夫妻をはじめとする有力な顧客を得るようになります。そして、画家はパトロンの期待を決して裏切りませんでした。彼の仕事は優雅で幸福感に満ち、それまでの注文肖像画にありがちな堅苦しさとは無縁でした。ルノワールのもとには肖像画の注文が相次ぎ、彼は一躍、パリ社交界の人気画家となったのです。
印象派の一員でありながら、ルノワールは光にあふれた戸外の情景を描くよりも、肖像画家として成功したことになります。そのため、彼は徐々に、仲間たちとの距離を感じるようにもなったようです。それは、ルノワールにとって、大きな転換点となるものでした。
★★★★★★★
フィラデルフィア美術館蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎西洋美術館
小学館 (1999-12-10出版)
◎印象派
アンリ‐アレクシス・バーシュ著、桑名麻理訳 講談社 (1995-10-20出版)
◎印象派美術館
島田紀夫著 小学館 (2004-12出版)
◎ルノワール
ウォルター・パッチ著 美術出版社 (1991-02-10出版)
◎ルノワール―その芸術と生涯
F・フォスカ著 美術公論社 (1986-09-10出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)