むせかえるような裸体の乱舞です。肉体そのものが描き出すアラベスク模様は、80歳になろうとしていたアングルにとって、その生涯をこめて追求してきた浴女のイメージの集大成といってよさそうです。
ところが、老アングルの思いにもかかわらず、この絵は、最初の注文主である公爵からは突き返されてしまいます。作品の中の裸体の氾濫ぶりを目にして驚いた公爵夫人が、受け取りに大反対したからなのです。
たしかに、このエロチシズムは、当時としては不快な部類に入ったかも知れません。ところが、それを聞いたアングルは、
「おかしいなぁ。女たちはこんなに清潔に描かれているのに」
と不思議がったと言われています。エロチシズムにはすっかり慣れてしまった感のある現代においてさえ、この絵の中の女性たちが清潔だと感じる人は、もしかすると少ないかも知れません。しかし、そこにはアングルなりの思いが秘められていました。
アングルは、メアリー・ウォードリー・モンタギュー夫人という書簡文作家の記述を読んで霊感を受け、この『トルコ風呂』を描いたと言われています。実際、画家のノートには、コンスタンティノープルの英国大使夫人であったモンタギュー夫人が、故国イギリスの友人に宛てて、はじめてトルコ風呂に遭遇した時の様子を書き送った文章が書き留められていました。
それによると、石造りの浴場には200人ほどの婦人が全員全裸で憩っていたと書かれています。しかしそこには、下品なだらしなさは皆無で、皆コーヒーを飲んだり、召使いの少女に髪を編ませたりしていて、夫人自身にも、裸になって一緒にくつろぎましょう、と声をかけてくれたことなどが記載されていました。
ですからアングルは、よき時代のハーレムの光景を描くように、とナポレオン一世の甥にあたる公爵から絵を依頼されたとき、この記述から湧き起こったイメージと、自ら描きためてきたさまざまな女性像のイメージを重ね合わせることを思いついたのではないでしょうか。
それを証明するかのように、『トルコ風呂』の中には、アングルの過去の作品に見られたさまざまな、お気に入りの女性たちが登場しています。
特に明確なのは、画面中央の、それより50年も前の作品『バルパソンの浴女』の主人公に似た女性でしょう。また、左後方に立つ女性は、コンデ美術館の『ヴィーナスの誕生』や、有名な『泉』の女性を彷彿とさせます。中央で横を向いた女性の手の位置からは『モワテシエ夫人』なども連想できそうです。また、右手前で『女奴隷のいるオダリスク』を思わせる、頭上で腕を組んだポーズをとる女性は、その7年前に再婚した28歳年下の妻デルフィーヌだとも言われています。まさに、アングルの眼がとらえ続けたあらゆる官能とある種の悲しみの形態の、集大成と言えそうな気がします。。
それにしても、モンタギュー夫人が書いた、「官能とは無縁のトルコ風呂」という表現とは、この絵はやはり相当にイメージが違っています。本当のトルコ風呂を知るイスラム教徒によれば、「寺院のように神聖な場所」でさえあるというのに….。このあたり、画家の想像力のなせるわざでもあり、また、西欧人の中に、トルコ風呂の精神がもう一つ理解されていないこともあったのかも知れません。また、西欧世界に広まったオリエンタリスムのイメージが、ややふくらまされ、飾り立てられたものになっていたというふうにも解釈できます。
実際には、お湯をかぶりながら願い事をし、各種の儀式の前には身を清め、結婚式の前夜には借り切って、友だちを招いて一緒に入浴する…といった、さまざまなかたちでの人々の心のよりどころ、社交場となる、大切な場所なのです。
★★★★★★★
パリ、 ルーヴル美術館 蔵
<このコメントを書くにあたって参考にさせていただいた書籍>
◎掠奪美術館
佐藤亜紀著 平凡社 (1995-06-25出版)
◎西洋美術史(カラー版)
高階秀爾監修 美術出版社 (1990-05-20出版)
◎西洋絵画史WHO’S WHO
諸川春樹監修 美術出版社 (1997-05-20出版)