とても丈夫そうな左手が印象的な作品です。また、右手の肘の位置がなにやら不自然で、ひどく気になります。
モデルのドーソンヴィル夫人は、アカデミー会員として名高い伯爵を夫に持つ上流階級の夫人で、アングルは彼女の手に独特なしぐさを与えています。これは、彼がイタリア滞在中に見た古代ローマの彫刻の「貞淑」を示すポーズからヒントを得たものだと言われています。
こんなところからも、アングルの手に対する特別な思いが感じられます。人間の顔よりも、ずっと手への配慮が深く、それはどの作品にも共通しているような気がするのです。
しかし、だからと言って、アングルの描く手が神秘的だというわけではありません。とても肉感的で、生き生きとしていて現実的なのです。「貞淑」を示すドーソンヴィル夫人の手も、ともすればいたずらっぽく動き出しそうにチャーミングなのです。
そしてまた、鏡に映った彼女の髪のリボンにもはっとさせられます。鏡の向こうに違う世界が広がっているかのように、そのリボンの色は生々しく息づいて、ちょっと血の色をさえ思わせます。
こんなところにも、アングルの、端正なだけではない絵画表現の怖さを感じてしまいます。
★★★★★★★
ニューヨーク、 フリック・コレクション蔵