ひっそりと悲しげに柱の陰にたたずむ少女…彼女はパイエケス国の王女ナウシカアです。神話世界で活躍する女神や女性たちは、積極的で強くて奔放な性格を持ったキャラクターであることが多いのですが、このナウシカアはきわめて慎み深く、やさしいお姫様なのです。
この作品の典拠はホメロスの叙事詩『オデュッセイア』です。主人公オデュッセウスは、イタカの王ラエルテスの子。忍耐強く、知謀に長じた赤髪の英雄、神のごとき人物でした。彼はトロイア戦争に参加して活躍し、木馬を建造してギリシア軍を勝利に導きます。しかし、トロイア落城後の帰路、数々の苦難が彼を待ち受けていたのです。そうした中で、オデュッセウスは自ら造った船で海に出ますが、海神ポセイドンによって沈没させられてしまいます。流れ着いたのはパイアケス人の国。彼を救ってくれたのは王女ナウシカアだったのです。二人はあわや結婚というところまでいきますが、妻のペネロペを想うオデュッセウスの心を感じたナウシカアは、イタカへ向かうための船を用意してあげるのです。
パイアケス人の催す宴…。ナウシカアは柱のそばに立ち、風呂で身を清めたオデュセウスを見つめます。これが、二人の別れの場面なのです。ナウシカアはオデュッセウスに言います。
「さようなら、よそのお方。お国に帰っても、私を忘れないでください」。
そんなふうに語りかけるナウシカアの、なんとつつましい美しさでしょうか。 ラストマンの描くナウシカアは非常に堂々たる女性でちょっと驚かされますが、ロード・フレデリック・レイトンは、彼女を王女というよりも市井の清らかな少女として描きました。
フレデリック・レイトンは、日本でも「レイトン卿」と呼ばれて親しまれています。彼の作品はビクトリア女王が購入したのをきっかけに世に知られるようになり、やがて貴族に列せられた唯一の画家でもあっったのです。初期には歴史画などを手がけましたが、60年代半ばからは神話をテーマとして描くことが多くなり、その明快な構図、鮮明な色彩の甘美な画風は多くの人に愛されました。
また彼は画家としてだけでなく、実務家としての実力、人望ともに並ぶものがなく、78年にはロイヤル・アカデミーの会長に就任して、アカデミーをかつてない隆盛に導いたのです。この美しいナウシカアは、その会長就任の年の記念すべき作品となりました。
★★★★★★★
ゴールデンデイル(米)、 メアリーヒル美術館 蔵